ダートマス大学 腫瘍内科准教授 白井敬祐先生|DOCTORY(ドクトリー)

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患者と医療者
立場を超えて、思いをくむコミュニケーションが
前向きな医療をつくる

ダートマス大学 腫瘍内科准教授
白井敬祐(しらい・けいすけ)先生

真摯なコミュニケーションが救いうる
ステージ4の患者の苦悩

◆渡米、そして腫瘍内科の専門医へ

夢だった米国留学への道もある日、突然開かれた。米国の医師免許は、京大卒業と同時に取得したが、取得後7年以内に米国内で臨床研修を始めなければ無効となる。折しも、国立札幌病院に勤務していたころ。手稲渓仁会病院とピッツバーグ大学病院内科との提携が検討され、同大学の内科研修プログラムディレクターが来日していた。当時の師匠、西尾正道・国立札幌病院放射線科医長(現・北海道がんセンター名誉院長)に、許可をとり、白井さんは早速プログラムディレクターにランチのアポイントメントを取ることに成功。「ホテルのレストランで『君、アメリカの免許持ってんの?』って聞かれて『持ってます』って言うたら、『じゃあ、うち来る?契約書送るわ』って」。ジョークのようだが、その場で渡米が決まった。もちろんバックパックの中には、履歴書など、ひと揃えを忍ばせていたそうだが。

「外で飯食ってくる」としか聞いていなかった白井さんの妻は、当然驚いた。しかも、当時白井家の子どもたちは3歳と1歳。米国での生活に不安を抱く妻を、白井さんはこう説得した。「アメリカの医師はオンとオフがはっきりしてるから、プライベートな時間もしっかり確保できるって。子育てにもいいと思うよ」

しかし、その予測は覆り、約束は反故になった。渡米後、最初のローテーション先はICU。右も左もわからない状態で4日に1回、泊まり込みの当直が回ってきた。現在の米国ではACGME(Accreditation Council for Graduate Medical Education、米国卒後臨床教育評価機構)によって研修医の労働時間が規制されているが、当時はまだルールがなかった。「今でも妻には『あの時はだまされた』と責められます。帰ってきても寝るだけで、乳飲み子抱えてアメリカで1人放り出されたようなもんですからね」と苦笑いをする。

米国で専門医資格を取るには、指定された臨床研修施設で初期研修(インターンシップ)、後期研修(レジデンシー)を受け、その上で専門医試験を受けなければならない。24の診療科別にそれぞれ専門医認定機構があり、内科の場合はAmerican Board of Internal Medicine(ABIM)がそれを担う。各認定機構の上位には、それを統括するAmerican Board of Medical Specialties(ABMS)が各診療科間の制度の標準化や評価、認定を担っている。一方、研修施設やその研修プログラムに対する評価はACGMEが担う。過去5年間の専門医試験合格率が8割を切った施設は、ACGMEから研修プログラムの改善を求められる。この指摘を受けるとプログラムの改善策を具体的に提示して合格率を上げない限り、臨床研修施設として認められなくなる。いきおい、どの施設も専門医育成に照準を定めてプログラムの質向上に努めるし、研修医の採用基準も厳しくなる。

◆3人の師から学んだ「笑顔の腫瘍内科」

3年間の研修を終えるころ、白井さんの中で学生時代から漠然と抱いてきた「がん医療」への志が明確なものになってきた。「現在の腫瘍内科は、多額の研究費が投じられて新しい治療法が次々登場することもあって、米国の若い医師にも人気です。でも僕が初期研修をしてたころは全然違いました。早期のがんとちがい、ステージ4であれば、治療のゴールは、治癒ではありません。そんな人と、以前はこんな患者さんもいたよ、こういう過ごし方もあるよ、あなたに合った方法を見つけましょうね、って話してると、一人ひとりとじっくり付き合えるんですよ。そこが自分の性に合ってるなあ、と思って」

渡米当初、白井さんは3年で帰国するつもりだった。しかし、米国でがんの専門医となる目標は捨てられず、腫瘍内科の専門医資格(フェローシップ)獲得を目指すことに。「妻も理解してくれて、応募書類の封筒詰めとか手伝ってくれました。オンラインでの応募はまだ始まってなかったですから、それぞれの書式に合わせてタイプして。60くらい応募して、面接に呼ばれたのは10病院くらいやったかな」。結果、サウスカロライナ医科大学血液・腫瘍内科の専門医研修への参加資格を獲得。専門医取得後もスタッフとして残り、研鑽を積んだ。

この過程でも白井さんは自分の進むべき道を照らしてくれる師匠に出会っている。研修中のピッツバーグ大学の師は、緩和医療の専門家、Paul.K.Han医師。「ハン先生が診るのは終末期の患者さんばかりなんですけど、すごいジェントルマンで、彼が頷きながら話を聞くと、患者さんも家族も落ち着いてくるんですよ。クールなのに、心を癒すことができる。僕もそんなコミュニケーションをしたいなあ、と思いました」

専門医となり、連日がん患者と接するようになると、日米の“患者文化”の違いを強く感じさせられた。治癒は望めない人ばかりの外来でも、毎日ジョークが飛び、笑い声が響く。そんな時に出会ったのは、白井さんが今もメンターと慕う師匠の1人、サウスカロライナ医科大学の乳がんの専門家、Frank Brescia医師だ。

「一言で言うと、コミュニケーションの達人。アメリカの病院の外来は、患者さんが待っている個室が4つ、5つとあって、医師がノックして入るんですが、その時『スーザン、調子はどう?』とかって声をかけますよね。患者さんが『調子悪い』と答えたら、フランクは『OK!じゃあ、またにしようか』って。直後に患者さんもスタッフも爆笑ですよ」。Brescia医師は、病状や治療法の説明を一度もせず、自宅での過ごし方を患者から聞き続けることもあれば、目の前の患者の夫婦げんかにひとしきり耳を傾けてから「そろそろいいかなあ」と、一言で2人を笑顔に変えてみせることもあった。「抗がん剤治療の適応がなく酸素吸入を受けている患者さんも『絶好調!』と言いながら、先生に会いに来るんです。見てる僕までどんどん惹きつけられました」

そして、3人目の師匠が、がん患者のメンタルケアを専門とする精神腫瘍科のDean Schuyler医師だ。彼から教えられた「エンゲージ(engage)」と「エンパワー(empower)」という考え方が、最近の白井さんの診療を形作る重要ワードだ。engageは直訳すれば「かかわる、参加する」など、empowerは「活力を与える」などの意味となる。

「スカイラー先生が言うエンゲージは、患者さんその人自体に関心を持つこと。どんな仕事をされてたんですかとか、この前の大雨大丈夫でしたか、とか、『私はあなたのがんだけに興味があるのではなくて、あなた自身に興味がある』というメッセージを出すことです。すると、患者さんはエンパワーされます。逆に、患者さん自身が僕という人間に関心を持ち、エンゲージしてくれると、僕がエンパワーされる。エンゲージとエンパワーは双方向の関係にあるので、患者さんがエンパワーされていない、やる気が出ないようなら、僕のエンゲージに問題があるんかな、って考えます」。その関係性は普遍化することができる。「患者さんとの関係だけやないんです。僕が教えている研修医のやる気が出ないなら、その彼に文句を言う前に僕のエンゲージに問題がないか、と考えなあかん。そう心がけてます。簡単じゃないですけど」

PROFILE

ダートマス大学 腫瘍内科准教授
白井敬祐先生

1997年 京都大学医学部卒業
     横須賀米海軍病院
1998年 飯塚病院
2000年 国立札幌病院(現・国立病院機構北海道がんセンター)
2002年 がん診療、緩和医療、医学教育を目的に渡米、ピッツバーグ大学関連病院で一般内科の研修を始める
2008年 サウスカロライナ医科大学血液・腫瘍内科フェローシップを経て、同大学腫瘍内科スタッフに就任
2015年 ダートマス大学腫瘍内科Associate Professor就任
     専門は肺がん、メラノーマ、緩和医療

(肩書は2018年7月取材時のものです)

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