志水 太郎先生(獨協医科大学病院 総合診療科診療部長・総合診療教育センター センター長)01|DOCTORY(ドクトリー)

DOCTORY INTERVIEW

獨協医科大学病院 総合診療科診療部長
総合診療教育センター センター長

志水 太郎先生

夢は、「世界をリードする医学教育を展開する」
数々の挫折は、次の成長につながりました。

2004年に卒後の初期臨床研修が必修化された際、卒後に出身校の医局に入らず臨床経験を積む医師が増えることを良しとする声、けしからんと怒る声が入り交じった。そんな中、冷静で論理的だった人物に共通した本音は、「導入し、成果を見ればいい」だった。
2017年、同制度導入から13年が過ぎ、評価に十分なエビデンスが確認され始めている。
たとえば、同制度2期生にあたる志水太郎氏。卒後、出身校医局にはまったく関わらずに12年を歩んだ総合診療医だ。
獨協医科大学病院に総合診療科を立ち上げる大任を任されたこの人物から見えるもの、感じられることは多い。少々気圧される、そのスペクタキュラーな生き様に、新しい医師人生の歩み方を見聞できることは確かだ――。

ピュアで打算のない若者たちに贈るエールを持つ人

指導医/志水太郎は、研修医、医学生に対してどんな思いをいだくのか。

「ピュアな志を持った若者たちの集団だと思います。
医師という職業は一定の報酬は約束されていますが、対価に対して差し出すべき犠牲が、肉体的にも精神的にも、非対称に大きいとすぐにわかる。打算で選択できる道でもないと思います。3K職種に身を投じ、それぞれの夢に向かって前に進む姿には、思わず『勇気あるなあ』と思います。しかしその志を貫けば、きっと後になってその信念が実を結ぶことを実感すると思います」

後輩達に対する敬意を込めた、至上のエールだ。

「それに応える僕ら指導医の役割は、彼らのモチベーションを上げてやれることは何かを常に考えて行動することだと思います。そもそも、成人教育ですので過度な干渉は不要ですし、彼らの成長を妨げます。このフェーズの教育で大切なのは“導くこと”と“フィードバック”だと思います」

地域に尽くし、世界をリードする新しい総合診療科のミッション

2016年4月、志水氏は獨協医科大学附属病院に総合診療科診療部長・総合診療教育センター センター長の両ポジションを得た。どちらも新設チームである。
『診断戦略』(医学書院)や『志水太郎の愛され指導医になろうぜ-最高の現場リーダーをつくる』(日本医事新報社)をはじめとした著書、NHK「ドクターG」などの出演で注目度を上げつつあった気鋭が、栃木県の広域医療を支えるアカデミックな基幹病院とタッグを組んでスタートさせたプロジェクトに多くの医療人はもとより、世間も注目している。

「メンバー全員が外部から集結した新しい診療科です。スタートは4名でした。これまでの獨協医大病院になかった診療科横断的な活動をもとに、より良い地域医療を創出すべく日々の診療に従事しています。その中で現場からの学びをもとに、若手教育、また世界をリードする診断医学の拠点も目指しています」

獨協医科大学病院(栃木県壬生町)総合診療科は外来、救急、病棟の3部門をこなす

挫折の連続「トンネル」人生。中学を自主退学して、選んだ進路

志水氏は、自らのキャリア人生を「トンネル」と称する。
「キャリア的なことでいえば、まず、小・中学受験で挫折していますし、医学部入学にも3年余計にかかっています。医師の就職試験に相当する初期臨床研修は完全アンマッチでした。後期研修後の進路も志望する病院に断られる前に病院に退職願いを出してしまい途方にくれました。アメリカの医師国家試験にも通るまで何度も落ちました。余談ですが、自動車免許の取得試験には7回落ちています(笑)。カザフスタンの友人に“お前は突き破るまで迂回せず進もうとする、その不器用なスタイル何とかならんのか?”と笑われましたが、まあなんというか、スムーズにステップを登らないことが多かったです」

最初の大きな挫折である中学受験失敗には、驚きのエピソードがある。
「希望校に進めず、拾われるように入学させてもらった中高一貫校でがんばってみると、成績が上がった。そこで自信を得て、中学入試で不合格だった学校への高校受験を発起し学校に相談したのですが、『当校は中高一貫なのだから、受験のための内申書は通常出すことがない』とのこと。それで当時の自分なりに考えて、親と相談した上で、退学しました」
中学校の自主退学という本人の意思の強さもだが、そんな選択を応援するご両親の慧眼にも驚く。

2016年秋 宇都宮にて、青木眞先生(写真右から3番目)とメンバーたち

そんな経緯で、中学3年次に転校したのは地元の公立校。
「エキサイティングな日々でした(笑)。僕は転校生らしく“ヤンキー”の格好の標的になり、トイレから帰るとカバンが4階の教室からグラウンドに放り投げられていたり、数学の授業中に突然の奇襲に見舞われることもありました。夏休み以降にパタッと襲撃が無くなるまでの間、抗争(?)に時間を取られましたが、秋以降はようやく受験に集中できました」
結局翌年に見事、中学受験の雪辱を果たし希望の高校に合格する。

「このときの成功体験は、後の僕に大きな影響を与えました。どんな暗いトンネルに入ってしまったとしても、諦めたら終わりだと思います。抜けられるか否かの不安に悩む暇があったら、一日一日を精一杯やりきるべき。僕が学んだのは、それでした」

師匠との出会い。感染症への興味と、総合診療への道筋を見出す。

2015年 城東病院時代、青木眞先生(写真右)、ローレンス・ティアニー先生
(写真中央)と

中学生で規格外の突破力を見せた志水氏である。ただ、自ら困難を招いている節もある。その後、3浪と社会人を経て無事医学部に進んだが、実は、卒後にもその経緯が見られる。
「当時の希望進路は脳外科でした。手塚治虫の『ブラックジャック』に憧れて、子どものころから掲げていた目標です。第一志望の病院がアンマッチだったのに焦りのせいもあると思いますが、『とにかく、実家のある東京の病院で』ということで入職させてもらった病院に脳外科がないことに、入職するまでまったく気づきませんでした(笑)」
2005年は初期臨床研修が必修化されて2年目である。新しい制度をどう使いこなすかについて、万全の自信を持てる医学生も研修医もいなかっただろう。受け入れ側も、ローテートして2年で出て行く集団だから脳外科志望者がいてもいいと判断したのかもしれない。とはいえ、脳外科があると思い込んで脳外科のない研修機関に進む過ちは深刻……な、はずだが、やはり志水氏は「暗いトンネル」に心折れることはなかったのだ。

「初期臨床研修のための教育のインフラが、制度を背景に脆弱だと感じました。これは、自分で努力して学ぶべきだとすぐに考えを切り替えました。インフラがないなら、教育は自分で作るしかないと思ったのです。
たとえば、現在では多くの情報が電子カルテにビルトインされて視認性の良い経過表ですが、当時はすべてアナログ。そこで紙の温度板のデザインを工夫して、新しい薬の入った時期などがひと目でわかる経過表に作り替えしました。それを使って金曜日のカンファレンスの際に患者さんの現状を院長や副院長にプレゼンテーションするのですが、そのための情報整理の作業時間は、患者情報や経過を層別化して把握する上でとても勉強になりました。
また、現場の経験値を増やすため、初期研修医に当直を課すルールがないことを逆手にとり、ほぼ毎日当直に入りました。今そんなことをしたら、労基局的にアウトかもしれません(笑)。
心電図もエコーもグラム染色も、病院から与えられるレクチャーなどは特にありませんでしたが、技師さんや、疑問を明確にして各科の指導医に聞けば、忙しい中温かく教えてくださいました。そのほうが実際の患者さんに基づいた学びでもあるので、一般論のレクチャーよりも学びの質が高かったと思います。
結局、初期研修の達成度は、指導医の先生方やスタッフの雰囲気や親心に助けられたことが大きかったのですが、それに甘えるだけではなく、自分自身の創意工夫も試される時期だったと思います。その意味も含め、僕的に初期研修先の江東病院は最高の初期研修でした。また、院内だけではなく、院外で開催される勉強会にも、アンテナを張って可能な限り出席したことものちの学びにつながりました

そんな生活を1年ほど続けたところで、大きな出会いが訪れる。アンマッチになった病院の内ひとつのある病院の先輩がその後も志水氏を気にかけてくれていたことが縁で、臨床感染症の権威である青木眞氏の勉強会に参加するチャンスを得た。
「2時間の講義でしたが、感染症というものをここまでクリアカットに考え、プランを出し、またその原則を教える方がいるのだという事実に、衝撃を受けました」

ここでまた、規格外の行動に出る。
「2年目の初期研修医に許されていた院内の有給休暇をフルに使わせて頂き、青木先生の勉強会や講演に可能な限り出席、遠方へは秘書の方にお願いして同行させていただきました。青木先生の勉強会は徹底的にアンテナを張り予定を調べました。同僚からストーカーのようと揶揄されましたが(笑)、それだけ必死だったのだと思います。その半年後、総合内科の徳田安春先生にも運命的に出会い、同様に衝撃を受け、同様にフォローしました。徳田先生はその後も総合内科という同領域ということもあり、兄のように慕い、徹底的に教わり、様々なプロジェクトでも行動を共にさせていただくことになります」

「脳外科のない研修病院に入職した脳外科志望の一研修医の蹉跌」は、この辺で吹き飛んだようだ。知遇を得て師と仰ぐ青木氏に、思い切って感染症のキャリアを念頭に置いた進路相談をしてみると、天啓のようなアドバイスが降りてきた。

「ジェネラルな感染症をめざすなら、先生は全身を診られる技術や知識を身につけた方がいい。後期研修では総合内科(総合診療科)のような訓練をさらに積むのがいいんじゃないかな」

2006年 大船のカフェにて
湘南鎌倉総合病院へのティーチングに青木眞氏(写真左)が参加する際、同行した志水氏(写真右)
撮影=現:国際国立医療研究センター堀成美氏

獨協医科大学病院 総合診療科診療部長・総合診療教育センター センター長
志水 太郎先生

2005年 愛媛大学医学部卒業 江東病院で初期研修
2007年 堺市立堺病院後期研修・内科チーフレジデント
2011年 米国エモリー大学ロリンス公衆衛生大学院修了(公衆衛生学修士)
 〃   米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校客員臨床研究員
 〃   カザフスタン共和国ナザルバイエフ大客員教授
2012年 練馬光が丘病院 総合内科ホスピタリストディビジョンチーフ
 〃   豪州ボンド大経営大学院修了(経営学修士)
2013年 米ハワイ大学 内科
2014年 東京城東病院 総合内科チーフ
2016年 獨協医科大学病院 総合診療科診療部長・総合診療教育センター センター長

(2017年8月取材)

「Doctor=医師」+「Story=物語」+「Victory=成功、喜び」から成る造語です。第一線で活躍される先生方のキャリアや生き方に関するお話をうかがい、
若き医師たちの指針となるようなメッセージをお届けします。

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