小堀 鴎一郎先生(社会医療法人社団 堀ノ内病院 地域医療センター医師)01|DOCTORY(ドクトリー)

DOCTORY INTERVIEW

社会医療法人社団 堀ノ内病院 地域医療センター医師

小堀鷗一郎(こぼり・おういちろう)先生

40年の手術室生活から在宅医療の現場へ
生と死の狭間、「正解のない世界」で
医師は何を目指すのか

80歳にして、自ら軽自動車のハンドルを握り、今も週2、3回の往診を続ける訪問診療医、小堀鷗一郎さん。母方の祖父は、明治の日本を代表する文豪で、医師でもあった森鷗外だ。そして小堀さん自身は、東京大学医学部出身の外科医であり、国立国際医療センター(現・国立国際医療研究センター)院長として定年を迎えるまで、そして定年後も手術室でメスを握ってきた。ところがある日、全くの偶然からまるで勝手の違う在宅医療の世界へ身を転じる。以来14年余り、400人近くの患者を看取ってきた。「引退」すら考えてもおかしくない年齢で、あえて選んだ最後の職場は、なぜ「在宅」だったのか。半世紀以上にわたって人間の「生と死」を見続けた小堀さんの選択はどうして生まれたのだろう――。

外科医定年後 予期せず踏み込んだ世界は……

◆名誉院長は森鷗外の孫 今日も軽自動車駆り往診へ

小さな四輪駆動車を駆って、患者の自宅を回る

埼玉県新座市。東京・池袋から電車で約20分、再開発が進む駅から車で農地と宅地の間を縫う道を10分ほど進むと、堀ノ内病院に着く。地域医療の中核を担う199床の総合病院だ。24時間体制で救急患者も受け入れている。小堀鷗一郎さんの現在の所属先は、この病院の地域医療センターだ。病院のウェブサイトには「名誉院長」と記載されているが、名刺にはそんな肩書きは記されていない。

2018年夏、小堀さんを200日にわたって追いかけたドキュメンタリー番組がテレビで放送された。慣れた様子で患者の家に上がり、持参した折りたたみ椅子に腰をおろしてベッドに横たわる患者に話しかける。「また来るね」と手を握る。介護で疲弊する家族の悩みを聞く。全盲の娘が1人で父親の介護を担う家には、何かと理由を見つけては診療外でも様子を見に行く。患者の家から家へは、軽の四輪駆動車のハンドルを自ら握って移動する。そして、それぞれの家で患者の最期を見届ける……。

番組の公式サイトには、「老老医療」という言葉があった。歩くのも、話すのも、運転するのも、老いを感じさせない小堀さんを目にすると、「ちょっと失礼な表現では……」という気もするが、実は小堀さんは1938年生まれ、本稿の取材時点で満80歳。確かに年齢的には「老老」と称しても間違いはないかもしれない。

◆「なんて恐ろしいことをやる世界なんだ」

さらに驚かされるのは小堀さんの経歴だ。

東京大学医学部を卒業後、東大病院第1外科で食道がんを専門とする外科医としてキャリアを積んだ。助教授まで務め、1993年に国立国際医療センター病院の外科部長に転任。65歳で定年退職する前の3年あまりは病院長も務めた。堀ノ内病院に来たのは退職後で、しかも当初は「手術を続けたくて来た」と言う。

「今のように在宅医療を担当することになったのは自らの意思ではなく、全くの偶然です。私はもう一度外科医として現場に戻りたくて、ここに来たのでね」

堀ノ内病院に着任した当初は、毎月数例の手術を手掛け、外来では救急の当番医も担当していた。逆に訪問診療、在宅医療という領域には、触れたことすらなかった。180度の転換をもたらす出来事は、着任から2年ほどがたった2005年2月に起きた。退職する小児科医に依頼され、その医師が長年、往診をしていた寝たきりの患者2名を引き継いで、初めて訪問診療をすることになったのだ。

「最初に訪問した時、座敷に患者さんが寝ている状態で処置をすることにとても驚きました。気管カニューレの交換など、外科医としては到底信じられないほど無造作に行われてましてね。交換時に痰が詰まって窒息するリスクがあるんじゃないか、と。『なんて恐ろしいことをやる分野だろう』と思ったのが正直なところです」

◆「患者の顔を見ても、その人生を考えていなかった」

実地の経験がゼロの状態から、必死で取り組むこと2カ月。小堀さんの往診を依頼する患者や家族が増え始めた。「私自身も手術を続けることが体力的に難しくなり、徐々にこの領域に専念することになりました」。それに伴い受け持つ患者数は増え、4年後には40人を超えた。当時は、在宅医療の黎明期とでも言うべき時期だ。介護保険制度が2000年4月に創設されたものの、診療報酬の面でも今のような環境は整っておらず、訪問診療を実施している医療機関はまだ少なかった。患者の急増は、在宅医療に対する需要に供給が追い付いていなかったという理由もあるだろう。しかしそれ以上に、小堀さんの患者や家族に対する姿勢が地域に浸透し、評判を呼んだ。

このころの小堀さんの取り組みは、2018年5月に刊行された小堀さん自身の著書「死を生きた人々 訪問診療医と355人の患者」(みすず書房)に詳しく紹介されている。

脳梗塞を患い、つえにすがって室内を歩くのがせいいっぱいなのに、どうしてもたばこが吸いたいと言う72歳の患者を退院させ、たばこの自動販売機に1人で歩いて行けるようになるまで、見守り続けたケース。胃がんが再発したが、お酒が大好きな76歳男性の病床に、個人的に訪問し、男性の孫の誕生を祝って、ウイスキーで乾杯したケース――。患者や家族の人生に深く入り込み、単なる医療の提供だけでない関係を築いて、一緒に生き方、死に方を考え、紡いでいく。いくつもの事例を読み進めると、「なぜ、ここまで深いかかわりができるのか?」という疑問がわく。

「僕は外科医時代、職人的な方向に走りすぎるようなところがあったんです。患者がどんな生涯を過ごしてきたか、何を考えているか、どういう死に方をしたいのか、そういうことを全然、考えてこなかった。患者の顔を見ても『この人の食道はどうなっているのか』を考えたりしてね。こうしたことに対する反省があるのです。そして、言い方は悪いけれど、それまでかかわってこなかった分、患者の人生に興味がある。それがモチベーションになっているのです」

今の姿からは思いもつかない話に驚かされる。しかし本当にそのような動機があるのだとすれば、その土台となった若き日の小堀さんの姿を知りたくなる。話の舞台は一気に終戦直後まで飛んだ。

社会医療法人社団 堀ノ内病院 地域医療センター医師

小堀鷗一郎先生

1938年東京都生まれ
1965年東京大学医学部卒業
1965年東京大学医学部附属病院第一外科
1993年国立国際医療センター(現・国立国際医療研究センター)外科部長
2000年同センター病院長に就任
2003年同センター病院長を定年退職、堀ノ内病院へ
2003年これまで一貫して、上部消化管の診療、研究に従事
2005年堀ノ内病院で訪問診療を開始

(肩書は2018年7月取材時のものです)

「Doctor=医師」+「Story=物語」+「Victory=成功、喜び」から成る造語です。第一線で活躍される先生方のキャリアや生き方に関するお話をうかがい、
若き医師たちの指針となるようなメッセージをお届けします。

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