北海道薬科大学客員教授/総合診療医・感染症コンサルタント 岸田 直樹先生|DOCTORY(ドクトリー)

医師の求人・転職・アルバイトはマイナビDOCTOR

耐性菌半減、医療におけるエンパワメント――
自在な筆裁きで、思いの形を絵に描く。
こんなスタイルの医師人生もある。

北海道薬科大学客員教授/総合診療医・感染症コンサルタント
一般社団法人 Sapporo Medical Academy 代表理事
北海道大学医学院公衆衛生修士課程(MPH:master of public health)
岸田 直樹先生

耐性菌対策は、サミットの議題にもあがるほどの世界的な公衆衛生上の脅威となっている問題だ。日本でも院内感染(医療関連感染症)の事例が国民の耳に届くようになって久しい。一般社団法人Sapporo Medical Academy 代表理事の岸田直樹氏は、研鑽して身につけた総合診療医、感染症専門医のノウハウを活かし、「医療におけるエンパワメント」を実現することを決意。2014年に一躍転身を果たした。

耐性菌対策は、全人類共通の大問題である

院内感染・医療関連感染症による死亡等の事例が報道をとおして国民に知られるようになったのは、1980年代だったろうか。病気を治してくれるはずの医療機関に足を運び、逆に病気に罹ってしまう不条理に唖然とする声があちこちからあがった。以来長い年月が過ぎ、昭和が平成に変わり、さらに新しい元号に改められようとしている2018年現在も、院内感染や耐性菌の問題は定期的にメディアに登場する。岸田氏は語る。
「耐性菌拡大とその対策は、サミットの議題にもなるほど深刻な、世界的な公衆衛生上の脅威です。日本だけが特別悲惨な状況というわけではありませんし、むしろ、耐性菌の現状としては極めて多い国ではなく、菌によっては少ないものもある世界的には中位に位置している国といえるでしょう。

インドや東南アジア諸国、ヨーロッパではイタリアをはじめとした、まだ世界中に多くある、薬局で処方せんなしで抗生物質が買える国よりはよい環境とは言えます」
アレクサンダー・フレミングによるペニシリンの発見は、細菌という目に見えない刺客を完全無力化した人類大勝利の区切りだと思い込んできた。少なくとも、一般市民は。だが一方、この分野の専門家たちは、フレミングの業績が確定したその瞬間から、微生物が抗生物質への耐性を獲得するのは不可避の自然現象だとわかっていたのだそうだ。

「抗生物質が万能という短慮がいかに怖いか、一度撃退されたかにみえた細菌が耐性を帯びて生まれ変わる仕組みがいかに恐ろしいかは、ようやく一般にも知られるようになりました。ただ、無知だったのは一般市民だけではありません。昭和の頃からつい最近まで、抗生物質を解熱剤がわりに処方する医療がなんの疑いもなくまかりとおっていたのですから」

岸田氏は、「日本の医療は、ある時期に感染症を捨てたといわれる」と指摘する。たぶんそれは、抗生物質による感染症の克服という考え、臓器別医学へのシフトと引き換えに葬り去られた、あるいは忘れ去られて行ったのだろう。
「事実、つい最近まで日本の大学に感染症学の講座はなく、感染症内科を持つ病院もほとんどありませんでした。唯一存在したのは沖縄県。敗戦で米国の治世下におかれた結果、沖縄県立中部病院を中心として米国式の感染症学がしっかり根づいていたのです。
その事実は、日本の医療界にとってきわめて大きな幸運だったと言っていいでしょう。特に良い意味での古き良き感染症学が日本に残っているのは今となっては世界的にもとても幸運だったと感染症医としても思います」

感染症科を立ち上げて、当たった壁。それは、水平展開する仕組みがないこと

現在、岸田氏の活動は、主に一般社団法人 Sapporo Medical Academy(以下、SMA)を舞台に展開されている。岸田氏は、SMAの代表理事、創設者だ。肩書きは、総合診療医・感染症医/感染症コンサルタント。SMAの活動の延長線上で、北海道薬科大学客員教授の職も担うことになった。また、2017年からは北海道大学公衆衛生修士課程(MPH)で感染症疫学や・医療経済学、生物統計学、人口学などを学んでいる。

SMAの創設は、2014年のこと。創設に至った思いについて。
「2010年に手稲渓仁会病院に総合内科・感染症科を立ち上げ、4年で耐性菌をほぼ半減させるなどの成果を得ることができたのですが、壁に当たった感をいだきました。
当たった壁とは、自施設の耐性菌は減っても他の病院では変わらない現状です。意外にも耐性菌対策は一施設のみのひとり勝ちは可能です。しかし、同院で得た成果を、周囲の他の医療機関に水平展開する術がないことでした。耐性菌半減のノウハウを一刻も早く広く伝えたいと思ったのですが、組織や仕組みがなくてはひとりではどうにもならないと思い知りました。地域連携のようなかかわりでは十分対応できないと感じました。
そこで、自分で作るしかないと心に決め、実行に移したのです」

SMAは、「医療におけるエンパワメントの推進」を目的に定め、感染症コンサルタント、臨床推論、かぜ教育、セルフケアの推進などを事業内容とする組織。感染症はその中でも大きな部分を占める。具体的には、マイクロバイオロジーラウンドチームを形成しサポートし、抗菌薬を整理し、アンチバイオグラムを作成し、症例ごとの感染症コンサルティングをし、定期的な感染症勉強会まで行う。教育、コンサルタントの対象職種は、医師、薬剤師、看護師、検査技師と多岐にわたる。

「SMAの事業は、コアには日本の医療を上手にエンパワメントするためにあると考えています。フリーアクセス、国民皆保険という日本が世界に誇るべき医療システムの良い点は多々ありますが、なんでも医師に相談、医療機関受診が良い時代ではありません。皆さんも既にご存じと思いますが、日本は2100年に向けて人口がほぼ半減する未曽有の人口減少が予測されています。特にその人口減少は少子高齢化という側面をもっており、今のままでは様々な側面で人が圧倒的に足りないことが予測されます。特に高齢化による医療ニーズの高まりはその変化を肌で感じるほどになっています。このような社会背景を踏まえて日本の医療をより良く、より効率的に上手に変えていくために、特に医療の側面でエンパワメントすることは極めて重要で、それにできることはすべて対象になります。医師以外の医療者へのエンパワメント、つまり権限移譲が目標となりますが、究極的には国民一人ひとりがセルフケアをするといった考え方やノウハウを広めることが重要だと思ってやっています。

1998年 岸田氏が立ち上げた法人の主軸となる〝教育〟の基礎を学んだ塾講師時代。当時の教え子の10人弱が医師になっている
1998年 岸田氏が立ち上げた法人の主軸となる〝教育〟の基礎を学んだ塾講師時代。当時の教え子の10人弱が医師になっている

様々な事業のなかでも、耐性菌の世界的驚異的拡大に加え感染症専門医が極めて少ないという日本の現状があり、感染症コンサルトは大きな位置を占めています。感染症対策は究極のチーム医療です。ICT(感染制御チーム)に参加する多職種が、それぞれの専門性をいかして全員総力戦のアプローチができる力をつけることが課題解決の試金石。今もっとも力を入れているのが薬剤師、そして看護師教育。それぞれに病態生理の知識を踏まえた臨床推論の勉強まで含め、感染症に強い薬剤師に、看護師に育ってもらうよう様々なプログラムを提供しています」

日本人は組織の内側からの改革は苦手だが、外からの意見を採り入れるのは上手だ

2012年に感染防止対策加算が新設されて以来、ICTを設立し感染対策への志を示す医療機関も、ICD制度協議会の感染制御ドクター資格認定を取得する医師も徐々に増えている。ただ、具体的な、実効性のあるノウハウは確立されているとは言えず、どの医療機関も手探りで前に進んでいる状態だ。

起業家として見れば、的確にニーズを見抜いている。そして、医療人として見れば、感染症コンサルティングを「エンパワメント」と位置づけた慧眼が光る。事業の将来性も医療界への貢献度も、申し分なしと言えるだろう。
「事業を通して気づいたことがひとつあります。それは、日本人は組織の内側から変えていくのは比較的苦手という点。比べて、外から発せられる意見には耳を傾け上手に取り入れることができます。これは、いい悪いではありません。国民性。ですから、コンサルタントはそこを上手く活かしていくべきだと思っています。実際優秀な人材はすでに各病院にいるのですが、本当にこれをやってもいいのか? など躊躇している医療者もいますし、いざ内部で改革しようとすると思いのほかうまくいきません。自分は内部の優秀な人材を発掘して、その人がやりたいと思っていることに『それでOKです』と言っているだけのことも多いのです。私が、この仕事について『背中を押す』という表現を使うのはそのせいかもしれません。

また、何も起こっていないときに病院組織をいっぺんに変えるような進め方もしません。現場が困っていないのにアクションを起こすと抵抗勢力ができやすいでしょう。“問題が起こらないようにする”というのが感染症では本当は重要なのですが、このやり方ではかえって敵を作ってしまいます。一つひとつの事例からアプローチすること、また協力的な部署を見出して、まずそこを変える。変えるべきものが明確だと変わらないことに苛立ちを覚えるかもしれませんが、現場が困っていると感じていないときに起こす変化は逆効果にすらなります。組織の一部分に生まれた成果を少しずつ全体に広げていく手法を心がけています」

事業はうまく行っているようだ。うまく行っているだけでなく、事業をとおした気づきがあり、楽しめている様子も伝わってくる。転身の決断が、吉と出たということだろう。

1999年 夏
留学先のタイで熱帯医学を学ぶ学生時代の岸田氏
1999年 夏
現地での研究・臨床をとおして熱帯地域ならではの問題を学んだ

PROFILE

北海道薬科大学客員教授/総合診療医・感染症コンサルタント
一般社団法人 Sapporo Medical Academy 代表理事
北海道大学医学院公衆衛生修士課程(MPH:master of public health)
岸田 直樹先生

1995年 国立東京工業大学理学部中退
2002年 国立旭川医科大学医学部医学科卒業
2005年 手稲渓仁会病院初期臨床研修修了
2008年 手稲渓仁会病院総合内科フェロ-修了
2008年 手稲-ハワイ医学教育フェロー修了
2010年 静岡県立静岡がんセンター 感染症科フェロー修了
2010年 手稲渓仁会病院 総合内科・感染症科 感染症科チーフ 兼 感染対策室室長
2014年 一般社団法人Sapporo Medical Academy 代表理事
2017年 北海道薬科大学 客員教授
     北海道大学医学院公衆衛生修士課程(MPH)

(2017年9月取材)

RECENTLY ENTRY