名古屋大学医学部附属病院 副病院長/医療の質・安全管理部 教授 長尾 能雅先生|DOCTORY(ドクトリー)

「安全」は、現代医療のさらなる進歩のキーワード。その確信を胸に、道なき道を前進する。

名古屋大学医学部附属病院 副病院長/医療の質・安全管理部 教授
長尾 能雅先生

医師として何ができるか、京大病院での挑戦

2010年12月8日(40歳)、京大病院 医療安全管理部のメンバーと。前列中央が一山 智先生。
2010年12月8日(40歳)、京大病院 医療安全管理部のメンバーと。前列中央が一山 智先生。

長尾氏はそれまでの臨床の経験から、「医療安全には医師の参加が不可欠」と感じていた。
「医療安全活動のなかで、医師だからこそできる業務を探りました。医療安全担当の看護師、薬剤師らと上手く連携すれば、医療安全の質がぐっと上がると思っていました。
もちろん、私の活動は当初から順風満帆だったわけではありません。重大な医療事故や事故調査、改善活動に明け暮れる日々の中で軋轢はありましたし、いつか、うしろから刺されるのではないかと感じたこともあります(笑)。
それでも前進できたのは、一山先生はじめ当時の病院幹部が『医療安全に軸足を置くのだ』という明確なメッセージを発し続けてくれたから。さらには、多くの医療者や事故被害者の皆さんが私を応援してくれたからです。
『茨の道だ』という思いは常にありましたが、『いつか誰かがこの道を歩く。少しでも棘を抜かなくては』と考えるようになっていきました」

素朴な疑問をぶつけてみた。医局の生え抜きでない者が、軋轢の多い業務の責任者をまっとうするには、想像を絶する苦労があったのではないか。臆することはなかったのか。 「覚えているのは、決して四面楚歌ではなかったということです(笑)。京大の教授陣や各部門長らは一を聞いて十を知る方ばかりで、透徹した感がありました。腑に落ちれば、行動は極めて速い。医局に限らず、多くのキーマンが私を支援してくれました。京大病院の開拓者的な風土も私にとってはプラスとなりました」

医療安全は治療だ。医師の視野を一気に広げた本質

医師だからこそできることとは何か。
「まず取り組んだのは、医療者、特に医師の報告行動を活性化させることです。医師の報告には多くの有害事象が含まれています。患者さんはまだ生存しているという状態で、重大な情報が次々と私のもとに集まってくる。その都度、医学的判断が求められます」

ある日、大きな発見をした。
”医療安全は治療だ”という視点です。たとえば薬剤大量投与といった事故が起これば、診療科を超えて院内のエース級の医師を招集し、チームとして事に当たる。薬剤部や検査部、透析部門など、院内のベストリソースを投入すれば、患者さんを救命できる可能性がある。当たり前のことですが、実は多くの病院でできていないことでした。どの部署の、どんな能力を引き出すかは、臨床医でなくてはできない仕事でもあります」

“医療安全は治療だ”という視点に気づき、キーワードとして強く発信してみると、医師の反応が如実に変わってきた。
「治療は医師にしかできないのですから、当然です。治療連携を念頭に置けば、インシデント、アクシデントの早期レポートも納得できるタスクとなります。医師の関与がときとともに深くなっていき、医師によるインシデントレポートの数も飛躍的に伸びていきました」

医療安全と聞くと、反射的に事故調査、謝罪、賠償、警察届け出といった業務を連想しがちなもの。それだけでは、医師は医療安全に負のイメージを持ってしまう。

「そもそも医師は人体のリスクマネージのプロなのです。医師の得意なこと、すなわち治療連携からスタートし、やがて再発防止や医療の質改善に進んでいくのが近道と考えました。
現在名大病院では文科省から2億円以上の予算をいただき、トヨタ自動車とタイアップして、医療の質向上や、改善活動に専門性を有する医師養成事業(ASUISHIプロジェクト)に取り組んでいますが、有事の備えがあるからこそ、改善活動にも力を注ぐことができるのだと思います」
まさに医師ならではの発想であり、見落としがちな本質といえよう。

医療安全が先進医療を支える

2015年10月1日、長尾氏が医療安全に携わって10周年の記念日当日に、名古屋大学病院の医療の質・安全管理部員からお祝いとして贈られた似顔絵のケーキ。「このときは嬉しかったです」と語る。
2015年10月1日、長尾氏が医療安全に携わって10周年の記念日当日に、名古屋大学病院の医療の質・安全管理部員からお祝いとして贈られた似顔絵のケーキ。「このときは嬉しかったです」と語る。

ところで結局のところ、医療安全とは何なのか?
医療事故は医学の発展とともに顕在化した、文明病の側面があると考えています。医療が高度になり、複雑になり、スピードも求められるようになった。おのずとヒューマンエラーやコミュニケーションエラーが頻発する。それゆえ、個人の技術の向上のみならず、チームの連携や情報共有、事故を未然に防ぐ力、改善につなげる力、倫理的手続きの充実といった新たな課題が求められるようになりました。

10年前、ある外科医に、「医療安全は先進医療の進歩を止める」と言われたことがあります。誰よりも早く新しい医療を展開するのが先進医療の使命であり、医療安全のために面倒な手続きをしていたら競争に負けてしまうではないかとのことでした。しかし、それは間違っています。医療安全の手続きを軽視したがゆえに重大な事故が起き、結局先進医療の中断を余儀なくされてしまう事例を、私は数多く見てきました」

似顔絵のケーキと記念撮影。
似顔絵のケーキと記念撮影。

さらに話が継がれた。
「これらの痛みを経験してわかるのは、医療安全のための手続きは面倒な業務ではなく、技術を支える中核業務だということ。そのことを認識できたチームこそが、新しい医療に挑戦することを許され、成功させることができるということです。
医療安全が医療の発展を支える基盤であるとの認識は、今後より深く浸透していくでしょう。そして、その軽視は人類にとっての損失となるのだという見識が医療者の間で共有される時代の到来を、心から願ってやみません」
前人未踏の荒野を踏破しつつあるフロンティアの目には、次の時代のあるべき姿が見通せているようだ。そして、足跡が道となり、人々をあるべき姿に導く幹道となることを願って、さらなる試行錯誤を覚悟しているようだった。

PROFILE

名古屋大学医学部附属病院 副病院長/医療の質・安全管理部 教授
長尾 能雅先生

1994年3月 群馬大学医学部卒業
1999年4月 公立陶生病院 呼吸器・アレルギー内科 医員
2001年4月 名古屋大学医学部 第二内科学教室 医員
2003年7月 名古屋大学医学部附属病院 呼吸器内科 医員
2004年4月 土岐市立総合病院 呼吸器内科 医長
2005年10月 京都大学医学部附属病院 医療安全管理室 室長・助教
2008年3月    同   ・    講師
2010年4月    同   ・    准教授
2011年4月 名古屋大学大学院医学系研究科 医療の質・患者安全学 教授
       名古屋大学医学部附属病院 医療の質・安全管理部 教授 兼 病院長補佐
2012年11月 名古屋大学医学部附属病院 副病院長

(2016年1月取材)

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