新潟県厚生連糸魚川総合病院 副院長 山岸 文範先生|DOCTORY(ドクトリー)

平成の医療を、市井から突き動かす。
「至誠」で時代を動かす志士の系譜が見える

新潟県厚生連糸魚川総合病院 副院長
山岸 文範先生

思いあまって「内科医になる」と言い出したことも

山岸氏が臨床推論を学ぶ外科研修を発案した背景には、自身の外科医としての苦い経験がある。「私たちの世代の外科医は、徹底的に専門性を磨くことの代償に臨床推論に代表される総合医的な視点を欠落させて育ちました。事実、私は、手術の予後観察中に脳梗塞を発症し半身不随に陥った患者さんを出してしまったこともあります。血圧が高く動脈硬化が進んでいるとのデータはつかんでいましたが、まさか手術の翌日に梗塞を発症するとは思わなかった。

ちなみに開腹手術後に脳梗塞が発現したら、ほぼ打つ手はありません。手術予後に抗凝固薬など使えるはずはないのですから。このいきさつ、立場を患者さんやその家族の側に代えたらどうでしょう。患者さんがもし手術を目前としておらず、在宅していたとしたら、手足の不具合やめまいの症状が先に来て、救急車を呼べば最速の対応で半身不随は回避できたかもしれない。つまり、入院していたせいで、脳梗塞にやられてしまったという不条理を感じた可能性さえあるのです。 あのケースの正解は、脳梗塞発症のリスクを徹底的に低減させる措置が終わるまで、手術は控える、だったでしょう。私と私のチームには、その見立てができなかったのです。総合力がなさ過ぎました。

自ら得た蹉跌を糧に、後進に進む道を示す。それだけでも、立派な指導者である。だが、山岸氏の山岸氏たるゆえんは、教えながら同時に、実質自分も育成プログラムに身を投じ、現役の外科医として成長している実感を喜んでいる点だろう。「外科医に関しては、私自身がロールモデルとなりたいですね。その昔、患者さんを術後に脳梗塞にしてしまっただめな外科医でも、がんばればこれくらいになれると思ってもらえれば嬉しい」

研修事業を始めた頃。
研修事業を始めた頃。

つい最近のこと、後期研修のための総合診療研修プログラム構築がうまく進捗しなかったことに端を発し、山岸氏は「外科医を辞めて、内科医として総合診療プログラムに専念する」と言い出したことがある。いずれにしろ、副院長兼外科部長が外科医を辞めると声をあげたのだから、周囲の困惑はいかばかりだったろう。先輩、同僚、部下が総出で羽交い締めにする光景が目に浮かぶ。 「世話になった大学の教授にその旨相談したところ、こっぴどく叱られました。驚いた仲間たちが私の危機感を受け止め、内科医が中心になって専門領域を超えた教育チームをつくり、後期臨床研修プログラム構築の後押しをしてくれたため、振り上げた拳を収めることができたように思います。 さらにひとつ、副産物があります。それまでの外科外来、ER担当に加え、2015年4月から週に1コマの内科外来も担当することになりました。『内科医になる!』と叫んだ気持ちへの、病院からの贈り物だったようです。おかげで、土曜も日曜も休めない忙しさになりました(笑)。かなりきつい日常ですが、正直楽しくて仕方ありません」

※1. Get a commitment、2. Probe for supporting evidence、3 .Teach general principles、 4. Reinforce what is done right、5. Correct mistakesで構成される。ベッドサイドや病室の前の廊下で研修医の判断、知識の確認をおこない、頻用性の高い有益な知識を教え、さらにはモチベーションを上げるために励ます、修正するといったことをOne-minute preceptor と称して短時間で繰り返す教育法

仲間に感謝し、病院の財産を尊ぶ

座右の銘を問うた。 「座右の銘というほどのものはありませんが、医師にとって必要なものは、『他人を思いやる想像力、知識を使いこなす知恵、アートと言える技術、最後に胆力』と思っています。研修医には『想像力、知恵、技術』の3つを教えることができればと思っています」 静かに訥々と、理路整然と考えを述べる姿を目の前にするだけでは、内に秘めた熱さには気づきづらい。しかしひとたび内面の奥底を知れば、一言ひとことに命をかけたかのような理論家かつ実践者の覚悟に触れてたじろがされる。ここまで熱い人物を誰が必要としているのか? 「時代の要請」の一言が脳裏に浮かぶ。

2011年3月、宮城県石巻市にて。
2011年3月、宮城県石巻市にて。

初期臨床研修制度施行から11年、そのインパクトが呼び起こした医療界の地殻変動のうごめきはいまも止まない。これは、黒船の来襲が時代の大転換を誘発し、10数年をかけて明治維新成立にいたったプロセスに似ていると言えないだろうか。何かが大きく変わりつつあること、行き着く先はまだおぼろげながらそれが決して可塑を得ない類いの変化であることだけは、万人が感じ取っている。

そんな中で彼が唱え実践する総合診療研修は、あきらかに「至誠」である。後の世に、新潟県の西端の一病院から発せられた至誠が、新しい医療のかたちを示していたと語られる。決して絵空事ではないだろう。「私の幸運は、仲間に恵まれたことでしょう。この病院も、研修医不足という弱点はありましたが、それまでに院長を中心に地域医療連携の素晴らしい体制を築いてくれていました。地域の開業医が救急医療に参加してくれるようなシームレスな病診連携は大きな財産ですし、私の未来構想の心強い基盤となってくれています。」

当面の目標をシンプルな言葉で語る。「まずは、この育ちつつある初期臨床研修制度を文化として定着させることが目標です。いつの日か、私がこの場を去るときがきても、なにひとつ変わらず研修が前進するほどの文化になっていてほしい。 そしてもうひとつの目標は、できるだけ早期に総合診療科を開設することです。来年度には、プライマリーケア学会認定の総合診療医後期臨床研修プログラムが稼働しますので、その日は刻々と近づいていると実感します>」

取材の最後、自身がロールモデルとなるべき「総合力ある外科医」が話題にのぼった。「これは計画的に育成するのは決して簡単ではありません。今、私自身が学んでいるようなことは、外科医としての基本を身につけてからでなければトレースできないからです。つまり、一度、外科医に専念するために総合診療のプログラムからは離脱しなければならない。解決策は、腕のある外科専門医のヘッドハントです。実は、これはこれで、現在いくつかのアプローチを画策しているところなんです」 少しいたずらっぽく秘策を披露する表情は、とても楽しげだった。理論と実践の両輪を廻し、周囲を巻き込みながら維新を進める志士の今後に期待したい。
(2015年7月取材)

PROFILE

新潟県厚生連糸魚川総合病院 副院長
山岸 文範先生

1958年 長野県生まれ
1986年 富山医薬大大学(現富山大学)医学部卒
1994年 同大学大学院医学研究科卒業
2001年 新潟県厚生連糸魚川総合病院外科部長
2004年 富山大学第2外科講師
2005年 富山大学消化器腫瘍総合外科助教授
2007年 富山大学附属病院消化器外科診療教授
2008年 新潟県厚生連糸魚川総合病院副院長(現職)

(2015年7月取材)

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