山岸 文範先生(新潟県厚生連糸魚川総合病院 副院長)01|DOCTORY(ドクトリー)

DOCTORY INTERVIEW

新潟県厚生連糸魚川総合病院 副院長

山岸 文範先生

平成の医療を、市井から突き動かす。
「至誠」で時代を動かす志士の系譜が見える。

幕末、「至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり」の言葉だけで多くの同士を突き動かした傑人がいた。 人は吉田松陰、その言葉は「至誠にして動かざる者は未だ之れあらざるなり。誠ならずして未だ能(よ)く動かすものはあらざるなり」(『孟子』離婁上)からの引用で、意味は「誠意を尽くして事にあたれば、どのようなものでも必ず動かすことができる。逆に不誠実な態度で事にあたれば、何ものをも動かすことは決してできない」となる。 長州の片田舎に隠遁しながらも、この志ひとつで自らを鼓舞し、仲間に光の差す方向を示した思想家は、同時に活動家としても尊崇を集め、国家百年の計に資する大変革を胎動させたのだ。現代、新潟県糸魚川市の民間病院に、かの偉人を彷彿とさせる医師がいた。

地域医療再構築は、地域の実情を見定めて

2004年に導入された初期臨床研修制度は医療界に地殻変動をもたらした。もっとも大きな変動といえば、卒後1年目の新人医師が自由に2年間の初期臨床研修の場を選ぶ動きが、大学医局の求心力を削いだことだろう。それまで堅牢強固、何があっても動くことはないと思われていた地盤にひびが入るさまに、誰もが驚愕した。ただ、その陰で、もうひとつの崩壊が進んだことが認知されるのには少し時間がかかった。

もうひとつの崩壊とは、地域医療だ。研修医集めに失敗した大学医局が人員不足に陥り、結果、次々に派遣先から医師を引き揚げるドミノ倒しが起こったのだ。医師獲得のメインラインを寸断された市中病院、自治体病院は医師不足を発現させ、結果、地域の医療の質が低下に転じていった。

新潟県厚生連糸魚川総合病院(以下、糸魚川総合病院)も、その例に漏れなかった。 2008年に富山大学附属病院消化器外科診療教授の職を辞し副院長に着任した山岸文範氏は、当時、「今はまだ大丈夫」、「しかし、数年先に医師不足に陥らない保証はない」と同院の現状と行く末を分析。そこで、同院の未来構想をレポート「糸魚川の医療 危機と希望について:大学と糸魚川を知る一医師の意見」として院長に提出。「総合診療を強力に志向する病院になるべき」と提言し、了承を得た。

「研修医の集まる病院とはつまり、1)大都市部に立地している、2)地方都市であっても3次救急を担当するレベルの大病院、3)地域ないし僻地の病院であっても総合診療(病院総合医であっても家庭医であっても)を強力に志向している――この3条件のうちいずれかに該当する病院なのです。 逆に言えば、いずれかに該当すれば、自力で研修医を集めることができる。そこに賭けてみるべきだと考えました」 3条件のうちの3)地域ないし僻地の病院であっても総合診療を強力に志向している--を目指し、初期臨床研修医を増やし、総合診療医を続々輩出する流れをつくるべきとの構想だ。

「世には、厚労省の示す方針を無批判に受け入れ、地域医療再構築の鍵は在宅診療医の活躍にあると信じる向きもあります。しかし、少なくとも糸魚川市においては、私は、それはNOだと考えています。 『最年少者が還暦である集落はめずらしくない』との軽口が普通に語られるこの地域では、病人を自宅で看病できる家庭など数えるほどです。また、開業医自体も新規参入が少なく、高齢化が深刻で、往診に応えられる医師がまったく足りません。 そんな地域の医療を維持し、再興する体制は、総合診療医を多く擁する基幹病院が全住民に向けて門戸を開くかたちです。 ちなみに、初期臨床研修制度を地域医療を崩壊させる元凶のように言う人がいますが、お門違いです。この新制度そのものは、とても良い変革です。たしかにそのせいで医師数を減らした地域もあるでしょうが、崩壊があるとしたら、崩壊を防ぐ方策を怠ったからそうなったのです。制度のせいにすべきではありません」

理想の実践に失敗。しかし、自己弁護には走らない

1990年代、外科医として伸び盛りの頃の手術風景

初期臨床研修制度で疲弊した病院を生き返らせる妙薬は、初期臨床研修制度。結論だけを字面で追えば、一見シンプルな正論だが、論理構築の実務の中でこの「毒を盛って毒を制す」のごとき結論を導き出せる企画者はいかほどいようか。明らかに慧眼である。 ただし、残念ながら方法論までは用意できていなかった。 「着任初年度に実施した初期研修募集の成果は、惨憺たるものでした。医学生を呼び病院を見学させ、宴を催し一晩中騒ぎ、翌朝船釣りまで供したが、結局魚も学生も釣れず(笑)、などということもありました」

ただ、この理論家は、実務につまずいたからといって自己弁護には走らない。正しい方法論を見出すために、率先して汗を流した。 「方法論が間違っているなら、成功事例から学ぼう。初期臨床研修で成功を収めている医療機関の名はいくつも知られていましたから、見学を申し出るならどこが最適だろうと、とにかく情報を集めました」そして出した結論が、「沖縄に学ぶ」だった。

「本州にもあまたの成功事例がありましたが、どれもが大病院だったり、人口密集地域に所在したりで、当院が多くを学べる事例なのだろうか? と疑問が残ったのです」 直感で得た答えが、沖縄。そこから先は直感の成否を確かめるべく、猪突猛進だった。高名な沖縄県立中部病院で臨床研修の大家として名を成し、当時、群星(むりぶし)沖縄臨床研修センターを立ち上げたばかりの宮城征四郎氏に手紙をしたためた。受け入れの快諾を得ると、取るものも取りあえずの体(てい)で、自ら沖縄に飛び、学んだ。 「彼の地で目にしたものは、終わりなき驚きの連続でした。すごい、ハイレベルだ、しかし、ついていくのがやっとだ(笑)。これこそが私の望んでいた理想の臨床研修だと確信できましたが、習得のハードルは過酷なまでに高く、糸魚川に戻ってしばらくは鬱状態に陥ったほどです」

外科研修が牽引する、総合診療のプログラム

2015年度、同院に在籍する初期臨床研修医は1年目6名、2年目2名。1年目の6名はフルマッチだ。総合診療を学べる研修施設としての認知は年々大きくなり、学生の見学、病院の見学は全国から希望が舞い込むようになった。山岸氏が沖縄に学び、群星沖縄臨床研修センターとの強い結びつきのもとに導入した新しい研修体系は、制度自体を日々成長させながら前進している。 また、同院の初期臨床研修プログラムは、いたってユニークである。群星沖縄臨床研修センターを範とし、臨床推論のトレーニングをベースに外国人講師を招いたり、教育回診、5microskill(※)といった方法論を実践したりとトピックにあふれているが、なんといっても真骨頂は総合診療医育成のノウハウを実践し、牽引する制度のひとつが外科研修という点だろう。

研修ローテーションでの2ヵ月間の外科研修中、研修医は手術を強制されることはない。 「将来外科医に進むか否かを検討中の若者に、外科の手技を教えても意味はありません。技術は後期研修で学べばいい。専門を外科と決めてからで、十分に間に合います。この2ヵ月を無駄にしないためには、心電図の見方や血栓リスク、感染症への対応法などを学ぶ方がはるかに有意義です。もちろん、臨床推論も徹底的に学びます。臨床推論や診断学は外科医にも絶対に必要な技術です。特に合併症予測と合併症発現時の対応をここで学ぶことが、臨床の現場で大きな武器になっていきます。この外科研修は、将来外科を選択した医師が、最終的にバランス良く、総合力で患者さんに貢献できる外科医に育つことに資する内容でもあるのです」

そのために、臨床推論等の総合診療医的なノウハウを満載した「外科初期研修ガイドブック」を編纂した。毎年、着々と改訂を進め、刻一刻と他にはない英知を刻んでいる。 同院の初期臨床研修プログラムはそれ全体で総合診療医に魅力を感じる者を増やし、総合診療医としての基盤を得るための内容となっているが、もちろん参加者の中から外科医が輩出されることも大いに歓迎する。同プログラムを経て外科に進んだ者は、診断技術に長けたバランスの良い外科医に育つはずだ。

新潟県厚生連糸魚川総合病院 副院長山岸 文範先生

1958年 長野県生まれ
1986年 富山医薬大大学(現富山大学)医学部卒
1994年 同大学大学院医学研究科卒業
2001年 新潟県厚生連糸魚川総合病院外科部長
2004年 富山大学第2外科講師
2005年 富山大学消化器腫瘍総合外科助教授
2007年 富山大学附属病院消化器外科診療教授
2008年 新潟県厚生連糸魚川総合病院副院長(現職)

(2015年7月取材)

「Doctor=医師」+「Story=物語」+「Victory=成功、喜び」から成る造語です。第一線で活躍される先生方のキャリアや生き方に関するお話をうかがい、
若き医師たちの指針となるようなメッセージをお届けします。

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