誰が作った技術か、誰のものかは意味がない。
すべては、患者のために
興味深い歴史を聞かせてくれた。
「学びの当初に驚かされたのは、関節鏡が、日本の医師によって生み出された技術という事実でした。しかも、1960年代。それを、東京オリンピックの選手団に付き添って来日していたカナダの医師が見初め、学び、アメリカ大陸に持ち帰ったのだそうです。後に膝関節をメインに発達し、1980年代に肩への応用が始まりました。
肩は膝に比べて可動域の広い部位のため、関節鏡でできることの可能性が極めて大きかった。関節鏡は、肩への応用が始まって以降、爆発的に発展しました」
なんと、関節鏡は逆輸入技術だった。
「発明者が日本人であったのは、たいしたことではありません。それを持ち帰り、欧米で発展させてくれたことにむしろ感謝すべきだとさえ思います。誰が作ったか、誰のものかなど問題にすべきではありませんね。患者さんのためになるかならないかが、評価すべき唯一の視点と思います」
その言葉どおり、菅谷氏は、ここまで自身が確立した技術をすべてオープンにしている。しかも、インターナショナルに。菅谷氏の診察室には常時10人前後の見学者が間近に控え学んでいるが、そこには2人の「外国人枠」が設けられているのだ。難易度の高いやりとりが済んだ後には、菅谷氏が英語でていねいに解説を加える。
ところで、英語の重要性は、研修医たちに強く説いている。最新の技術を習得するためにも、自身の業績を発信するためにも英語は欠かせないツールだと信じている。
「手術日の朝に開催される約1時間のカンファレンスは、すべて英語ですので外国人枠の方への追加の解説は必要ありません。ちなみに私のグループは、夜の飲み会も公用語は英語です(笑)」
講座でも、勉強会でもない。
ムーブメントと呼ぶにふさわしい「菅谷系」
ここで、話題が「菅谷系」に移った。「菅谷系」とは、大学講座の看板を持たない菅谷氏のもとに集った弟子筋の方々のグループ名。
「菅谷組も菅谷教室もニュアンスとしてピンとこないので、私が、自分の感覚に一番沿った言葉を選んでつけた名です。意味としては、組や教室のような縛りや強制のない集団と思ってください。もちろん、大学医局の垣根などは超えて、国境さえ超えて『学びたい』の志だけをひとつにした若者たちが集まっています」
SNSの「グループ」は参加者150名を超え、推定で最大級のグループだそうだ。
「症例の相談も飲み会の声かけもごちゃ混ぜになった、妙なタイムラインが残るグループです(笑)」
もちろん、菅谷系はただただ群れるためだけに動いてなどいない。毎年5回から6回、ハワイに集まり、ハワイ大学医学部解剖学教室の施設を利用して、献体を使用しての手術手技トレーニングを行っている。また,最近では栄養やトレーニングの勉強会などスポーツドクターとして有用な知識の共有にも努めている。
「菅谷系,あるいはこれに係る他職種の人々を含めた全体の診療のレベルアップを着実に図りたいと思っています。国内のみならず海外医師が、難しいとされている手術も容易にできるような手術機器も、メーカーとの協力のもと開発し、現在では“菅谷モデル”として2種類ほど世界販売されています」
これは、たぶん、後に「時代の寵児」と評されることになるムーブメントではないだろうか。いたって素朴に「肩痛を治したい」と念じたときから、雪玉が雪原を疾駆しながら大きくなるように育ったもの、育てたもの。時代の表舞台に躍り出て、耳目を集めるのにもうそれほどの時間は要しないように思う。 「ところで現在は、さらに教育に力を注ごうと考えています。海外の、この分野の第一線の方々から得た知遇を生かして、海外留学の希望者をどんどん送り出す事業も開始しました」
振り向かれなかった医療ニーズに光を当て、技術を発展させる意義
以前、医学の性向を適確に指摘したコメントを耳にした。「人の手の指関節がポキポキとなる仕組みは、まだ解明されていません。今後も解明はされないと思います。なぜなら、命には関わらないことだから」――人の命を救いたいとの一心で発展した医学なのだから、さもありなん。
しかし、時代が変われば指関節のポキポキが医学研究の関心事項になるかもしれないと教えてくれるのが、アンメットメディカルニーズ(Unmet Medical Needs)なる概念だ。「まだ満たされていない医療ニーズ」を意味するその言葉は、患者数の少ない難病治療のための先端技術だけでなく、疼痛解消のようなQOL向上の方向性でも使われるようになっている。意訳になるのだろうが、見落とされていた医療ニーズを発見することをも指し示すようになったと言えないだろうか。
たぶん、菅谷氏はアンメットメディカルニーズ(Unmet Medical Needs)を発見し、満たす作業を独力で完了しようとしている偉人なのだ。日本の整形外科界が後れをとっていた肩・肘痛というテーマに、「ストーリーづくり」を学び、関節鏡を修め発展させることで、大きな成果を産み落とした。
最後に、誤解のないよう書いておかなければならないことがある。菅谷氏のもとには、大リーガーからオリンピックアスリートまで数多くの「アスリートクライアント」が集まり始めている。実際、動機の根源には「投手の肩痛を治したい」があるのだから、本人としては我が意を得たりの状況だろう。しかし、そんな今も、彼の医師としてのスタンスは「アスリートの肩痛も、高齢者の肩痛も、等しく取り組むべき疾患」と認識されている点だ。
「日本で、肩痛の悩みを持つ方々を、ひとりでも多く治してさしあげたい。この考えは、今後も一切変わりないでしょう。トップアスリートも、街のおじいちゃんおばあちゃんも、私には等しく大切な患者さんです。
そのせいか、当院の待合室では、待ち時間にサインをせがまれている患者さんがけっこういるんです(笑)」
もうひとつ、「誤解なきよう」と念を押されたことを加えておく。
「たしかに私は関節鏡の専門家ですが、『手術ありき』の整形外科医ではありません。
理学療法士が100人控えた、世界でも有数の当院の環境をフルに生かし、保存療法にも力を入れています。
また私は、これまで日本の整形外科界が軽んじてきた、『心』のケアの大切さも強く提唱しています。
肩の痛みから解放してさしあげられるなら、どんな方法でも選ぶ。そういう考えの臨床医だと知っていただければ、ありがたいです」