田上佑輔先生(やまと在宅診療所 院長)01|DOCTORY(ドクトリー)

DOCTORY INTERVIEW

医療法人社団やまと やまと在宅診療所 院長

田上 佑輔先生

行動し、思索し、実践する医師の、
生きる悦びと診る喜びに包まれた、時間と空間。

田上佑輔氏と盟友であり、大学の同級生である安井佑氏が、卒後8年目で東京大学附属病院(以下、東大病院)を飛び出し開設した医療法人社団やまと やまと在宅診療所(以下、やまと診療所)は、宮城県登米市と首都圏(東京都板橋区、神奈川県横浜市、川崎市)で在宅医療を展開し、双方の拠点に若手医師が行き来する動線の確立を目指している。「医師がつくり出し、提言し、社会の仕組みそのものに貢献できるはず」――そんな前向きな可能性へのチャレンジが、日々続いている。

片道3時間半を毎週移動する在宅診療医

仕事をするからには、それは、やりがいに満ち、充実を感じられる時間であってほしい。健やかに願いをいだき、必要な努力をする。見定めたプロセスを疑わずに前に進み、困難にくじけないがんばりを通せたら、人はかなりの幸福を掴めるはずだ。成果の大小はあるだろうが、自分が納得できれば、思い切って成功を宣言していいかもしれない。

毎週必ず登米市(宮城県)から東京へ、東京から登米市へと移動を繰り返しながら医療を展開する田上佑輔氏の姿はテレビでも何度も紹介された。片道3時間半。移動した先には、日に何軒もの患者宅を訪問する診療のスケジュールが待っている。

冷静に考えれば、ハードと言うには十分すぎるほど、負荷に溢れたライフスタイルだ。だが、あの表情を見てしまうとなぜか湧いてくる感情は同情ではなく羨望に近い。うがった目で観察すればもちろん疲れも見てとれるが、それ以上に充実感が発散されているからだ。人がそこにいるだけで発するあれやこれやは、まことに不思議で奥が深い。

田上氏がこの生活に入る直接のきっかけは、2011年の東日本大震災。
「多くの人がそうであったように、私も、矢も盾もたまらず、とにかく何か手助けがしたくて被災地に入り、ボランティアに従事しました。医師免許を持っているので、医療でも貢献できるかもしれないと想像していましたが、それは完全に的外れ。行政や医療機関から十分な数の医療者が現地に入っていましたし、生き延びた方々のほとんどは怪我も疾病もない元気な状態でしたから。
医師として駆け回る必要がなかったせいでしょうか、思索はじっくりとまとめることができました。得られた結論は、『この地域には、できるだけ長くかかわるべきだ』でした」

これは、自分たちの世代の有事だ。長く考え、かかわらなければならない。

大枠を、こうとらえた。
「これは、私たちの世代の有事だと思いました。大変なことが起こったのは見ての通りで、しかも大変さは今後、10年、20年を優に超えるスパンで続く。忘れてはならない。
職業に関係なく、多くの若者ができるだけ長く、何度もこの土地を訪れてほしい。訪問が一度で終わった人であっても、ここでの経験を持ち帰り、温め、どこかに生かしていくべきだ。そんな、世代の使命を感じました」

使命ある世代のひとりであり、医師である自分は何をすべきかと考えを進めていった。東大病院腫瘍外科に勤務するかたわら、空いた時間を見つけては定期的に被災地に入った。
結果、2年後には東大病院を休職し、やまと診療所を開設していた。

医師がいるだけではいけない。居続ける、閉ざされないモデル

やまと診療所は、志を共有する東京大学医学部同期の医師/安井佑氏と出資を折半し、登米市と東京都(板橋区)に同時に診療所を開設してスタートした。田上氏が登米市に、安井氏が東京に在住し、定期的に2人が入れ替わりながら在宅医療を展開していった。

「このスタイルが何を目指しているかというと、これまでにない、閉ざされない医療のモデルです。2つの拠点で、それぞれの地域で在宅医療を提供し続けることはもちろん重要ですが、もうひとつ、私たちの構想の重要なポイントは東京と登米市の間に医師の動き、交流の動線が確保され、維持されることです。

登米市での医療従事がすなわち登米市に居続けなければいけないことを意味する状況では、担い手候補には決死の覚悟が求められる。決死の思いで着任しても、その担い手がダウンしたり、ギブアップしたりすれば、次の担い手が現れるまで、またもや医療過疎になってしまう。その繰り返しでは、だめだと思いました」

開設から3年を経た2016年現在、登米市には常勤医も駐在するようになり、田上氏と安井氏の他にも数人の医師が東京と登米市の間を行き来するようになった。東京都板橋区の診療所に続き、神奈川県横浜市の日吉、同じく川崎市の武蔵小杉にも診療所が誕生。何人もの医師が、短期的に登米市を訪れるようになった。仙台の医療機関からも、医師がやってくるようになった。

市民病院の一角に土地と建物を有しての活動

登米市のやまと診療所は、登米市立登米市民病院(以下、登米市民病院)の敷地内、駐車場の一角に施設を有し活動している。つまり、市と市民病院のバックアップを得ている。
「取り組むからには一番困っている土地で始めるべきだろうと思い、宮城県庁に電話し、質問しました。そこで得られた案内が、『それならば、登米市です』でした。調べてみると登米市は医療過疎地ですが、伝統的な稲作地帯で、土地に根づいた住民もいるし、文化もある。行政と市民が危機感を共有して、今後どうすべきかを真剣に考えている地域であることなども、新しい医療への取り組みには適していると思えました。

すぐに登米市民病院の院長に面会を求め、『こういう医療がしたいのです』、『よし、わかった』となりました」
誤解されがちな点がひとつある。これは、へき地医療ではないということだ。
「私たちの取り組みは、へき地医療ではありません。その分野は、他の専門家にお任せしているつもりです。
私たちは、登米市のような人口8万人規模のコミュニティが、東京などの都市とつながり、医師のUターン、Iターンの流れをつくることでいかに地域医療を支えるかにチャレンジしているのです」

ITを活用し、住民参加も促す「地域医療2.0@登米」

田上氏は、ある講演会で自らの取り組みを「地域医療2.0@登米」と表現してみせた。Webが双方向のコミュニケーションで各段の進歩を見せた様子になぞらえて、ITを活用した医療、住民参加型の地域医療をそう表現した。

地域医療に取り組んだ医師の多くは、取り組みの結果、地域とのつながりを無視しては医療が成立しないことを理解するものだが、田上氏の構想には当初からその視点があったようだ。
たとえば2015年には、登米市の診療所から200mほど離れた商業地区にスペースを賃貸しコミュニティカフェ「coFFee doctors」をオープンさせた。
地域医療に必要な多職種連携のネットワークを目指した勉強会(オープンメディカルコミュニティ<OMC>)を開催するうち、さまざまな人が常時交流できる場の必要性を感じ、このカフェの開設を考えました。
現在は、そういったイベントのほかに、毎週火曜日に医療相談の窓口も開設しています。もちろんお茶や食事だけを求めるお客様にとっては、普通のちょっとおしゃれなカフェと思っていただいていいお店です。
このスペースを利用したイベントは時とともに多彩になっています。カフェに来場してイベントに参加できない住民のために、ケアマネジャーや薬剤師がカフェで開催しているイベントを公民館などで開催する『出張カフェ』という活動も始まっています」

カフェと同じ「coFFee doctors」という名を持つWebサイトも開設し、医師による健康、医療、介護に関する情報発信も行っている。

医療法人社団やまと やまと在宅診療所 院長
田上 佑輔先生

2005年3月 東京大学医学部卒
4月 国保旭中央病院(初期研修医)
2007年4月 東京大学附属病院
2013年4月 医療法人社団やまと やまと在宅診療所開設

(2015年7月取材)

「Doctor=医師」+「Story=物語」+「Victory=成功、喜び」から成る造語です。第一線で活躍される先生方のキャリアや生き方に関するお話をうかがい、
若き医師たちの指針となるようなメッセージをお届けします。

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