瀬戸上先生への思いと思い出――齋藤 学
合同会社ゲネプロ代表 ルーラルジェネラリストプログラムディレクター 救急専門医
すれ違いの、出会い
当時すでに、地域医療に興味を持つ医師たちの間では瀬戸上先生の存在は別格のものがありました。そんな先生と初めてご縁を持ったのは、2003年、私が沖縄県浦添総合病院に救急医として勤務していた時代です。病院が講演に瀬戸上先生を招聘したとのこと。「すごい、あの瀬戸上先生を生で拝見できる」と小さな胸を躍らせました。
ところが、院長先生(井上徹英氏)から呼び出されて宣告されたのは、「先生が講演で留守にする診療所を預かれ」でした!
なんとも非情な運命と天を仰ぎたくなりましたが、結果的に最良のご縁、最高の経験を得られたように思います。先生が講演に出発する前日に私が島に足を運び、1日、診察室で同じ時間を過ごせたのです。しかもその日は私にも患者さんを受け持たせていただけた。
そこで、ある患者さんの甲状腺に腫瘤が認められた。私は何も考えずに、鹿児島の検査センターに検査を依頼する手続きをとろうとしました。それを見た先生は、「ちょっと針を」と言いながら私に代わり、あっという間に生検を採取し、針についた組織の色を見るだけで「良性だね」と。
バリバリの地域医療医とはかくあるものか! と目からウロコが落ちました。
「先生、代診が必要なときは、私に声をかけてください。病院を休んででも、駆けつけます」と、押しかけ弟子を志願するにいたりました。
離島も僻地も、住んでいる人にとっては『都(みやこ)』なのだから
とはいえ、お互いに毎日の診療に多忙で、日常的には接触できるわけではありません。先生に直接かけていただいたお言葉も、「齋藤君は救急をがんばってきたのだから、それをベースに地域医療にがんばりなさい」くらいなものです。もちろん、それはそれで私にとって宝物。
印象に残っているのは、診療所のスタッフから聞いた、「先生が患者さんやスタッフを怒っているのを見たことがない」、「大きな手術の前には、物陰でそっと手を合わせ、成功を祈っていらっしゃる」といった情報でしょうか。
先生はまた、こんなこともおっしゃっています。「地域医療、地域医療と言うが、地元の人にとって離島のへき地も、自分が住んでいる『都(みやこ)』なんだよ。医療が都市部にくらべて劣っていても仕方ないなんて、誰も思わない」――まさにそのとおりです。
瀬戸上先生は、私にとって生涯の師です。診療所を退任なさって時間に融通が利くようになっていただけましたので、私の取り組む総合診療医育成プログラム推進のために講演などを通じてご協力願いたいと考えているところです。
先生、これまでご苦労様でした。そして、今後ともよろしくお願い申し上げます。