静岡県立静岡がんセンター 上坂 克彦先生|DOCTORY(ドクトリー)

術後5年生存率を50%に。膵臓がん治療の目覚ましい進歩とともに歩む、外科医の希望と夢。

静岡県立静岡がんセンター 副院長
肝胆膵外科部長
上坂 克彦先生

神の手はない。求められるのは読影力と手術計画立案力

術後補助化学療法の話題が深まる中で、あえて稚拙な質問をぶつけてみた。補助療法への取り組みは、外科医としての矜恃とぶつからないのかと。
「相克は、ありません。少なくとも膵臓がんにおいては、腫瘍学は外科学と不可分ですから。がんを取らなければ、膵臓がんは治りません。また、膵臓がんと外科を深く修めた者は、外科治療の限界も知っています。手術だけでは治らないともわかっているので、抗がん剤の使用に躊躇がありません。

たとえば胆管がんは、まだその結論が出ていない分野。ですから担当医は、安易に抗がん剤を処方しないのです」
メディアに露出した場で、上坂氏は「神の手はない」と繰り返している。もちろん、自身を「神の手」と紹介されることも遠慮する。
「膵臓がん手術に必要なのは、読影のスキルと手術計画立案力。手先の器用さは、二の次、三の次でしょう。
画像をしっかりと読み、正しい手術計画さえ立てられれば、手術は成功したも同然です。逆にこの部分に齟齬があれば、どんなに器用な指先も役には立たないのです」

手術は、局所解剖の繰り返しである。その展開力を磨け

肝胆膵外科に集ったレジデントたちも、その点を徹底的に指導されるようだ。
「当科のカンファレンスがとても長いのは、そのためです。担当となった医師には画像の読みと手術のプランを、必要ならば図解付きでカンファレンスで発表してもらいます。私も含めたほかの医師から、徹底的に質問され、指摘され、自分のたりない部分を気づかされます。
ちなみにカンファレンスは現在、半分は英語で行っています」

手術室に入っても、修練は続く。
「もちろん、手技は現場でなければ指導できませんから、厳しく、細やかに行います。レジデントがメスを振るう場合は、事前に制限時間を設定し、すぐに上級医が替われるように準備して、患者利益を損なわないよう努めています」

上坂氏の考える、外科医に不可欠な素養とは?
「まず、協調性。手術はチームプレーですから、これを欠いては立ちゆきません。次に、『考えている』こと。手術計画について考える、目の前で進んでいる手術について考える、常に『よりよく』と考える。その考える力こそが、外科医の力を伸ばすのだと思います」

考える力を持ったレジデントには、上坂氏や指導医が逆に鋭い指摘を受けることもあるという。その緊張感がたまらなく楽しいといった風情だ。
ところで、「神の手」はないが、手術の「うまい、へた」はあるのだろうか。

名古屋大学第一外科時代
恩師の二村雄次教授(前列右)、肝臓の解剖学で有名なCouinand教授(前列中央)
名古屋大学第一外科時代
恩師の二村雄次教授(前列右)、肝臓の解剖学で有名なCouinand教授(前列中央)

「あります。手術のうまい、へたは、手先の器用さではなく展開のうまい、へたで決まります。外科手術というものは、局所解剖の展開の連続です。手術計画はその展開を組み合わせて患部にたどり着き、切除する計画。展開の組み合わせをいくつ構想できるか、いざ開腹してみて当初計画が不首尾の場合、即座に違う展開に切り替えられるか。ですから、つまりは『考える力』なのです」

外科医は、手術前に徹底的に迷うもの

外科医が一人前に到達する目安を問うと、胃がんが卒後10年、肝臓がん15年、胆膵がん20年という私見を示してくれた。

「ちょうど、私が静岡がんセンターに参加したのが卒後20年目でした」
医師をめざした動機については、「特別高邁なものはありませんでした」と謙遜する。子ども心に憧れたのは、パイロット。しかし、視力が悪いと無理だとわかり断念。大学入試に際しては、「理科系で、人に接することにできる仕事」という視点で名古屋大学医学部に進んだ。

「医学部卒業時点での希望は神経内科でしたが、研修先の外科部長との出会いが運命的だったのかもしれません。『きみ、筋がいいね』の一言を真に受け(笑)、この世界に踏み出してしまった」
所属していたのは、「名古屋方式」で知られる名古屋大学医学部にあってもなお、自由な気風で知られた第一外科。
「若手が『ここで学びたい』と希望を出すと、喜んで送り出してくれる教室でした。そのおかげで私も、すぐに国立がんセンターで学ぶことができた。ここで肝胆膵手術のおもしろさを知ったのが、その後のすべてを決めたような気がします」

名古屋大学医学部のメンバーと韓国の学会にて (写真前列右から上坂氏、神谷順一先生(故)、二村雄次前教授、梛野正人・現名古屋大学大学院腫瘍外科教授、後列左は近藤哲(故)・前北海道大学教授)
名古屋大学医学部のメンバーと韓国の学会にて (写真前列右から上坂氏、神谷順一先生(故)、二村雄次前教授、梛野正人・現名古屋大学大学院腫瘍外科教授、後列左は近藤哲(故)・前北海道大学教授)

医師になってよかったですか?
「はい。最近になってようやくですが、そう実感するようになりました。どうやら、自分に合った職業に就けたようです」

現在の夢は?
「生きているうちに、膵臓がん術後5年生存率50%の報告を聞きたいですね。聞けると信じています」

最後に、取材中もっとも印象に残ったコメントを紹介したい。
手術中に迷うようなことは、ないのですか? という質問への返答だ。
「それは、ありませんよ。手技的な迷いは、手術計画を立てる段階ですべて解決していなければなりません。外科医というものは、そこで迷っていてはいけません。その代わり、手術前に迷います。『この患者さんには、手術を適用すべきなのか』については、徹底的に、納得が行くまで悩むものです」

名医とは、かくあるものなのかとつくづく学んだ気がした。

PROFILE

静岡県立静岡がんセンター 副院長
肝胆膵外科部長
上坂 克彦先生

1982年 名古屋大学医学部 卒業
1982年 南生協病院 外科医師
1986年 国立がんセンター 外科レジデント
1989年 南生協病院 外科医長
1990年 名古屋大学第一外科 医員
1993年 愛知県がんセンター 消化器外科副医長
1996年 名古屋大学第一外科助手
この間1997年6月~1998年3月 文部省在外研究員としてハーバード大学留学
1998年~2000年 名古屋大学第一外科 医局長
2002年4月~ 静岡県立静岡がんセンター 肝胆膵外科部長
2011年1月~ 同上 副院長 兼 肝胆膵外科部長

(2016年10月取材)

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