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①実父の世話のため。
②経験、スキルを活かしたい。
①年老いた父と同居し世話ができた。
②人生の充実感を味わえるようになった。
私はもともと山形県山形市出身で、若い頃から横浜市内の大学病院で循環器内科の医師として30年近く働いてきました。若い頃は「いつかは故郷に錦を」なんて考えておりましたが、都心で結婚し、子どもも生まれ、生活するうちに、ずるずるとこの年になってしまいました。ところが最近、実家・山形に住む75歳の母が脳梗塞で倒れて急死。79歳の父が一人きりになってしまったので、思い切って山形に帰ることにしたのです。横浜のマンションは、そのまま大学生の息子がひとり暮らしすることにして、私と妻だけ、父の面倒を見つつ山形の実家で暮らすことにしました。そこで新しい職場を探すべく、「マイナビDOCTOR」に連絡させていただいた次第です。
できれば、そのまま循環器内科の医師として働きたかったのですが、転職するにあたってマストな条件は「山形市内」というだけで、ほかにはとくにありませんでした。私は約30年ぶりの田舎暮らしにワクワクしていたので、年収面のダウンもあまり気にしていませんでしたが、妻のほうは「年収は下がるし、横浜と比べれば田舎で不便だし」なんて文句タラタラでした。
担当の方から「何院か候補を出しますので、じっくりとご検討ください」なんて言われましたが、失礼ながら、正直それほど期待していませんでした。都心部ならまだしも山形にそれほどネットワークがあるとも思っていませんでしたから。そうしたら次から次へと条件に合う病院を提示されて……。結局、自分の通いやすさと、以前と同じ循環器内科医師を探している病院があると聞いて、すぐにそこに決めてしまいました。市内にある総合病院の循環器内科です。驚いたことに、横浜の大学病院時代は約1500万円だった年収が、1800万円にまでアップしていたことです。なにがあったんだろう? と不審にさえ思いました。思わず担当の方に聞いてみたら「今は一般的に都心部勤務よりも、田舎の病院の医師のほうが、かなり年収が上なんですよ」と言われて、納得した次第です。年収の件があってから、妻も「やっぱり山形にきて良かった」なんて言ってますよ(笑)。
大学病院時代よりは、人員的な問題で当直の日数もやや増えましたし、夜間のオンコールも件数は多いです。循環器内科だけあって緊急検査や治療と忙しいのは事実なんですが、充実はしているので後悔はしていません。学会などで上京するときには、息子がひとり暮らしする以前住んでいた横浜のマンションにいるので、今は田舎暮らしと、月に数日程度の都心暮らしを両方満喫している感じです。50歳を過ぎてから「ああ、こういう生活もアリなんだな」と、しみじみと感じています。母の死去がきっかけではありましたが、大きな人生の転機となりました。新たな道を一緒に探してくれたマイナビDOCTORの担当の方に感謝です。