メディアが批判した「透析中止事例」は何が問題だったのか|スペシャルコラム

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メディアが批判した「透析中止事例」は
何が問題だったのか

昨年8月、東京都の公立福生病院で人工透析治療をやめた女性患者が亡くなった事例を受け、多くのメディアが批判的な報道を行いました。一連の報道に対し違和感をおぼえたと言うのは、「町医者」として慢性期医療に携わり多数の書籍出版・講演を行う長尾和宏先生。長尾和宏先生によるWeb医事新報の連載「町医者で行こう!!」の「第96回:透析中止報道に見るメディアの自殺」を転載し、メディアの報道に対する考えを紹介します。

何が問題なのか

東京都の公立福生病院で昨年8月、44歳の女性が人工透析を中止して亡くなったと毎日新聞は3月7日の一面で報じた。多くのメディアも同様に「あるまじき行為」と大きく報じた。「医師は患者を死に至らしめる選択肢を提示していいのか」と。中には「殺人だ」「医師免許剥奪だ」と煽る報道もあった。今回は、こうした一連の報道に感じたことを述べたい。

報道によれば、担当した外科医(50歳)は3月28日の会見で「透析続行のために必要な手術の準備をしていたが、女性に拒まれ、物理的に透析が不可能になった」と述べたという。患者の意思を尊重したとし「できることは全部やらせてもらったつもりだ」と、問題はなかったとの認識を示した。院長もこの透析中止について倫理委員会を開くべきか事前に担当医から相談を受けた際、日本透析医学会の提言を参照した上で必要ないと判断した、とコメントした。

死亡前日の本人からの透析再開の要請への対応も批難されている。しかし死亡前日の全身状態が不良だったのであれば、透析を再開したくても、もはや透析ができない状態(ポイントオブノーリターン)だったのだろう。

私は当初から本例の何が問題なのか理解できなかった。独断で透析を中止する医師なんているわけない。中止せざるを得ない状況だったに違いない。おそらく多くの医療者もそう感じたはずだ。透析をしたくても本人の強い拒否、高齢、全身状態の悪化、家族の意向などで断念せざるをえない事例が増えている。私自身も在宅で数例の非導入や中止例を経験している。

人工透析の非導入と中止

福生病院が腎臓病総合医療センターを開設したのは2013年4月。現在確認できる最新の報道によると、これまで透析適応者のうち17人が非導入、5人が中止をしていたという。透析導入率や導入後の完遂率について、「両方とも100%でないといけない」「一例でも完遂できなければ医者が殺した」と煽るメディアや有識者もいるが、単に現状を知らないだけではないのか。透析患者の高齢化や要介護度悪化は大きな社会問題になっている。

「シャントが詰まった=終末期」ではない。透析患者さんの終末期像とは全身状態が極めて悪く死期が近い、つまり多臓器不全と呼ばれる病態であろう。年齢に関係なく終末期になることはある。もしそうならば患者さんの意思を尊重した話し合いを繰り返した結果、中止に至ることはある。冒頭で取り上げた40代女性は、透析中止の1週間後に亡くなっているので「終末期であった」と推定されるのではないか。もし終末期でなかったと判断されるならばそれはインフォームドコンセントの範疇なのか安楽死なのかについては議論の余地があろう。そもそも「透析をしなければ死に至る状態」であること自体が終末期だ、という考え方もある。

だから「透析中止 患者死亡」「20人非導入 全員死亡」といった新聞の見出しには強い違和感を覚えた。透析治療は延命治療なので、中止すれば100%死ぬ。また導入しなければ100%死ぬ(はずだ)。当たり前である。もし死ななかったら、「不必要な透析だった」ことになり、そちらのほうが問題である。透析をしてもしなくても誰にでも必ず「死」が訪れることを知らない記者が書いているのだろうか。本人の意思を尊重して非導入や中止で大切な人の旅立ちを見守ったご遺族たちは今、どんな想いで一連の報道に接しているのか。その心中を案じる。

倫理委員会より人生会議を

亡くなった44歳女性の夫は「医師を恨んでいない」との手記を発表している。そもそも本例は事故でも事件でも裁判でもない。夫が「生きていてほしかった」という悲嘆を記者に吐露しただけである。悲嘆といえば、昨年11月に「人生会議」という愛称が決まったアドバンス・ケア・プランニング(ACP)は本例においてどうだったのか。もし透析を中止したなら、2日後、3日後、4日後あたりの本来の透析日にも話し合い(人生会議)があったのだろう。

倫理委員会が開催されていないことを非難する報道も多いが、患者や家族抜きで第三者が別室で勝手に決めるほうが問題ではないのか。そもそも忙しい医療現場で倫理委員会の開催は現実的でない。在宅でも非導入や中止で看取るケースが増えているが在宅には倫理委員会などない。非導入や中止の希望が出ればケアマネジャーがケア会議に多職種を招集する。ご自宅で本人と家族の意向に耳を傾け多職種で何度も話し合って決めている。うつ病による自殺願望ではないことを確認して、対話の積み重ねの中で決める。倫理委員会よりも人生会議である。

中止=死を待つことになるので、私の場合は本人意思を尊重し透析を中止した人には、毎日医師や看護師が訪問して、緩和ケアと並行して考えが変わらないか繰り返し確認している。また中止ではなく、透析導入を拒否して在宅看取りを希望される場合も同様である。中止後にどのような苦痛が予想されるのか、死に向かう過程と対処方法を説明する。

報道では前日の再開希望メールへの対応を問題視しているが、その手前の中止後数日間の対応こそが重要である。死の前日、意識レベルが低下したせん妄状態に陥れば「苦しい、何とかして!」と訴えることがあるだろう。拙著『痛い在宅医』(ブックマン社)で書いたように「死の壁」の最中に打ったメールだったのかもしれない。その訴えは「再開」というよりも「苦痛から逃れたい」という緩和ケアの渇望のように感じた。

予想される「死の壁」に対して私はモルヒネや安定剤の座薬で備えている。何よりも透析中止後の緩和ケアが重要であるが、それも提供されていたようだ。

患者さんを不幸にする偏向報道

人工透析患者数は年々増加し、2017年末には約33万4000人いる。透析に至る原因の約4割は糖尿病性腎症だが、高齢化に伴う腎機能障害も増えている。年間医療費は約500万円かかるが公的助成制度でカバーされている。人工透析は医療機関側から見ると継続的安定的な患者が確保できるため、安易な導入も指摘されている。一方、欧米では年齢制限がある国もある。また非導入・中止例は日常で、年々増加している。

そもそも透析をするかしないかの選択は、呼吸状態が悪化したときに人工呼吸器を装着するかどうか、食べられなくなったときに胃ろう栄養などの人工栄養を選択するかどうかと同じ話である。医師には、様々な選択肢があることを患者や家族に正しく説明する義務がある。その患者にとっての最善とは対話するプロセスこそが重視されていることだ。一緒に悩んで出た答えが正解なのだ。

今回のような煽り報道で多くの市民がミスリードされたことは残念である。偏向報道で不幸になるのは患者さんである。今後、「死ぬまでやめられないのなら最初からやめておこう」と迷っていた透析導入を拒否する患者さんが増えないだろうか。また倫理的に妥当な胃ろうの非開始や中止は減るのだろう。人生会議が国策となり慎重な対応を迫られている中、医療現場の努力に水を差す偽善報道は有害である。透析関係者や医療界は世間の誤解を解くべきだ。塞翁が馬ではないが、今回のミスリードを正しい啓発に逆利用すべきだ。

そしてもし医者叩きで新聞を売るために書いているのであれば、まさにメディアの自殺、新聞の終焉であろう。

出典:Web医事新報
※本記事は株式会社日本医事新報社の提供により掲載しています。

PROFILE

長尾和宏(ながお かずひろ)

1984年東京医大卒。95年、尼崎市に複数医師による年中無休の外来・在宅ミックス型診療所「長尾クリニック」を開業。近著に『病気の9割は歩くだけで治るPART2 体と心の病に効く最強の治療法』(山と渓谷社)など

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