救えなかったこどものことは悲しみとなって、
心のコップの中に澱のようにたまっていきます
◆埼玉県立小児医療センターへ
そして、植田さんは2015年に現在の病院へ移った。埼玉県は人口当たりの小児科医の数が全国最低で、小児救命救急・集中治療の整備が課題になっていた。小児医療センターが2016年12月に、さいたま市岩槻区から現在の地に移転する際、その解決策の一つとして小児救命救急センターを新設することになった。その開設準備から開設後の運営までの全権を任せるリーダーとして、植田さんが招かれたのだ。
約2年間の準備期間を経てスタートした小児救命救急センターは現在、救急診療科、集中治療科、外傷診療科が連携し、24時間体制で重症の小児患者を受け入れている。2019年度には、PICUとHCU(準集中治療室)を合わせ、のべ2000人超が入室。救急車の受け入れは約2000台に上った。
◆全国17施設に広がった「本格的な」PICU
帰国してから約20年。植田さんがまいた種がようやく芽吹き始めている。
PICUを完備し地域連携に取り組む病院は、全国に計17施設(2018年現在)にまで広がった。しかし現状では、まだ、小児人口の2分の1~3分の2しかカバーできていない計算だ。地域によっては、まだまだ集中治療の必要なこどもの受け入れ先がなく、一般病棟で診ているところもある。主治医が転院させようとしても、電話をしては断られ、電話をしては断られ、なんとか大学病院などの集中治療室に収容してもらうということを繰り返しているところもある。
植田さんは「都市部だから恵まれていて、地方だからダメだという話ではありません。長野県はしっかりとした体制が確立されて20年もたちます。こういった所は、地域の医療行政、大学の教授、小児病院や救命救急に関わる医師たちが知恵を出し合って、体制を作り上げ、守っているのです」と指摘する。そして、「この医療格差をなんとか解消したい。小児人口の100%をカバーする体制を作らなければならないと思っています」と自身が思い描く小児集治療に関するロードマップのゴールを語る。
◆時には救えない命も……
小児救命救急・集中治療の場では「こどもが好きで、命を失いそうになっているこどもを救いたい」というスタッフが、日々必死になって診療に当たっている。時には救えない命もある。小児救命救急センターでは、毎年30人ほどが亡くなる。命を救おうと苦闘を続けたスタッフの悲しみは深い。
このような時、植田さんは看護師も含めた医療スタッフのカンファレンスを行う。患者が亡くなったつらさを言葉に出したり、我慢せずに泣いたりしてもらうことで、グリーフ(死別による悲しみ)が少しでも昇華できるように。
植田さん自身は、どのように心の整理をしているのだろうか。
「整理はつきません。自分のケアまではなかなか……。救えなかったこどものことは悲しみとなって、心のコップの中に澱(おり)のようにたまっていきます。コップの容量がどのくらいあるか分かりません。下から抜けることもあるのかもしれませんが、澱があふれて、受け止められなくなったら引退だと思っています」
◆元気な姿を見せに来てくれるこどもたち
もちろん、小児救命救急・集中治療の場での勤務は、悲しいことばかりではない。
植田さんの元には、PICUで状態が改善し、一般病棟に移ったこどもたちが時折、元気な姿を見せにやってくる。PICUの入口で「ピンポーン」とインターホンを鳴らす。退院の時には感謝の手紙をくれることもある。
この仕事をやっていて良かったと思う瞬間だ。