行政も医療の現場も向いている方向は一緒。力を合わせるのに、特段の努力は不要。
――時代の幸運とご自身の努力で技術が長持ちする中で、先生は行政とも住民とも良好な関係を築き上げ、一体となって医療の質の向上を果たしました。訳知り顔で申せば、その業績こそが唯一無二の金字塔なのではないでしょうか。設備、制度、そして、行政と医療の現場の協力関係について「下甑島に学べ」という声は、医療界に一種のムーブメントを生みました。
瀬戸上 行政も医療の現場も、向いている方向は一緒ですよ。ただ一点、「患者さんのために」。ですから、難しいことは特段ないと思っています。
――地域医療をテーマに議論したとき、現場の医師が行政の考えや手法に疑問を感じ、矛盾を感じ、燃え尽きていく問題が語られます。
瀬戸上 医師の側の努力不足について、もう少し考えてみてもいいのでは? 取り返しのつかないような決定的な軋轢は、そうそう生まれるはずはないというのが私の実感値です。
――瀬戸上先生は、行政との軋轢は皆無だったのですか?
瀬戸上 喧嘩は数え切れないほど、しましたよ。村長とだって丁々発止とやりあいました。でも、最後は「医療をよくしよう」、「福祉を向上させよう」という思いでひとつになれるわけで、そのために必要な議論や衝突を怖がったことなどありません。最終的には味方ですし、仲間なのですから。たとえば、診療所へのCT導入などは、医師の要望ではありませんでした。こちらから要望を出す前に、行政側から「そろそろ必要でしょう」と発案があってのことです。もちろん、それは住民のためになりましたし、行政と医療の現場が一体になった上での業績のひとつです。
――そんな、行政との信頼関係も下甑村が市町村合併で薩摩川内市となり、医療政策が大きく変わる可能性が出てきました。長浜と手打の2診療所で展開されている医療を、ひとつの病院に統合するという案も出ているとか。
瀬戸上 署名運動なども起こりましたね。ただ、その点は、医療の現場からは見守るしかありませんし、そうすべきではないでしょうか。最後は、住民が決めることです。住民のみなさんが望むかたちに、喜ぶかたちに動いていくことを願っています。
初期研修医を労働力と考えるのが間違っている。ちゃんと学んで帰ってもらいたい。
――瀬戸上先生が在任した39年間で、下甑島は研修医がこぞって学びにやってくる場所にもなりました。
瀬戸上 時間とともに、やる気があり、底力のある若者が集まってくれるようになりましたね。とくに2004年の初期臨床研修必修化以降、その動きが顕著になったように思います。あれは、とても良い制度改革でした。自分の身に照らしても、こんな学びの仕組みがあったらどんなに良かっただろうと感じます。現代の新卒医師は、とても恵まれていると感じます。
――とはいえ、不人気な医療機関にはまったく研修医は集まらないようです。秘訣のようなものはあるのですか?
瀬戸上 初期研修医をただの労働力としか見ない医療機関がいまだにあると耳にします。たとえば、そんなところに人は集まるはずはありません。皆、学びたくて研修に参加するわけですからね。
私が心がけてきたのは、「思い切り学んでもらおう」という点だけです。当たり前のことですが、当たり前を実践するのが難しいこともあるのでしょうか。幸いにして初期研修医の間で評価され、毎年たくさんの若者が集まってくれるのはとても喜ばしいことと思っています。
――養成し、輩出するのも医師としての醍醐味のひとつかもしれませんね。
瀬戸上 それに関しては、大上段の考えはありません。私としてはむしろ、研修医の皆さんから良い刺激をいただけた感の方が強いかもしれません。教育の仕組みについて語る時に総じて指摘されることですが、指導する側も始動することで多くを学ぶものです。私も、若手医師たちと接することで、多くを学ばせてもらったと感じています。
――地域医療の今後について、どんな見通しをお持ちですか?
瀬戸上 未来は、明るいのではないでしょうか。新しい研修制度があり、志のある若者がたくさんいる。みなさん才能もあるし、学び方も上手い。次の世代の皆さんが、どんな地域医療をつくっていくのか楽しみでなりません。
――診療所を退任して以降のご予定は。
瀬戸上 しばらく、休みます。その間に次の構想を練りたいですね。まだまだやりたいことも、できることもあると思っています。