和座 一弘先生(わざクリニック)02|DOCTORY(ドクトリー)

DOCTORY INTERVIEW

わざクリニック 院長
松戸市医師会 代表理事会長

和座 一弘先生

黎明期の試行錯誤がもたらした、豊かな実り。
和座一弘なるプライマリケア医のこと。

2004年に初期臨床研修が必修化され、総合的な臨床力の大切さが改めて見直された。この前後にプライマリケア医や総合診療医への人気が一気に高まったのも時代の趨勢といえるだろう。では、2004年以前に卒後研修を受けた医師は、その世代全員がプライマリケアの臨床力に劣るのだろうか。そんなことはあるはずがないと、証明してみせるのが和座一弘氏。制度が整う以前の混沌の時代に、試行錯誤を厭わず学んだ世代が、いかに力強い能力を身につけたのかを教えてくれる人物だ。

完全なる少数派だったが、仲間もいた。総合医、家庭医に憧れた医学生時代

1957年生まれ。1985年、新潟大学医学部卒業。
なんと、医学部在籍時代からすでに、総合医、家庭医に興味を持っていたとのこと。臓器別専門科の流れが加速していた時代に、トレンドとはまったく別の方向を向いていたわけだ。
「もちろん少数派ですが、仲間もいました。皆、卒業後には新潟大学医局に残らず、それぞれ独力で進路を見つけて旅立っていきました。たとえば、現在、千葉県の旭中央病院で循環器内科主任部長を務めている神田順二君などはそのひとりです」

1984年頃
新潟大学時代、日野原重明先生を迎えて

在学中に忘れられない思い出がある。
「医学部のイベントで、僕の仲間たちの発案で、すでに高名だった日野原重明先生を招聘して講演会をやろうとなった。私が担当者に指名され、恐る恐る電話してみると、ご本人が電話口で『引き受けますよ。交通費を出してくれれば、いきますよ』と2つ返事をくださいました。(予算は確保していたので、講演料は無理を言って受け取っていただいた)先生は当時70歳代だったと思います。

講演は期待を裏切らなかった。「プライマリケア」なる言葉を初めて聞きました。『21世紀は病院医療から地域医療になるはず。ダイナミックにプライマリケアの重要性が増していくだろう』とのお話に、私も、仲間も、意を強くしたものです」

初期臨床研修の手探り版。教わる側にも教える側にも確固たる自信のない時代

卒業すると、粛々と自分の道を歩み始める。和座氏が選んだのは、1981年からの歴史を持ちながらその年、1985年が記念すべき研修生受け入れ初年度であった自治医科大学地域医療学講座(現地域医療学センター)だった。

結論から述べると、これ以降、和座氏が進む道のりは、言うなれば現行の初期臨床研修制度の手探り版である。教わる側には当然だが、教える方にも確固たる自信がない。プライマリケア医に関していえば、まったくもってそんな時代だったのである。
「講座に入ってはみたものの、ちゃんとしたカリキュラムができあがっておらず、指導医からは『とりあえず内科に行ってみてくれ』と指示されました。
指示に従って内科で勉強していると、講座によく顔を見せていた自治医科大学1期生の吉新(よしあら)通康先生から声をかけられました。『山梨県の都留というところで、地域医療をやることになった。ついて来ないか?』と」
一度は辞退したそうだ。

「『卒後2年目で、何もできません!』と申し上げました。ところが、返事は『それがいいんだよ』。
いったいどんな仕事が待っているのかと大変不安でしたが、結局お誘いを受けることにしました。1年いました。とても楽しく、有意義でした。
吉新先生が手取り足取り教えてくださるのは当然なのですが、先生が所用で留守にする毎週末には、『和座をひとりにしてはいけない』とばかりに、自治医科大学1期生の先輩方がローテーションを組んでやってきたのです。その中にはたとえば、梶井英治先生、箕輪良行先生などもいらっしゃいました。錚々たるメンバーが、入れ替わり立ち替わり、私にマンツーマン教育を施すために足を運んでくださいました」
初期臨床研修に相当する日々を、結局5年過ごしたという。強い興味を持っていた小児科は、3年目に五十嵐正紘氏という泰斗(その道で最も権威のある人)の下で3カ月を濃密に過ごしながら学んだ。救命救急では、メッカたる沖縄県立中部病院に派遣された。

2000年頃
恩師・五十嵐先生、グラハム先生との食事会(地域医療教育の仲間とともに)

その時間がいかに豊穣であったかは、言葉がなくても和座氏の表情を見ればわかる。地域医療への情熱を等しくする指導医が、先輩が、講座1期生の和座氏を「手塩にかけた」感がひしひしと伝わってくるからだ。
「今でも鮮烈に憶えているのは、五十嵐先生の下を去る日の送別会でのこと。厳しかった先生から最後のお小言をいただくのかと覚悟していた場面で、先生から『和座君ありがとう。私は、あなたに教えることで、多くのことを学ばせてもらいました』という言葉をいただいたのです。

学ぶことの奥深さ、指導することの奥深さを同時に教えていただけたのだと思います。
以来、ここまで。たった今も、今後も。五十嵐先生が、私の唯一のロールモデルとなりました。『ああなりたい』という気持ちひとつで、努力を続けています」

プロトタイプは、なぜあんなにも魅力的なのだろう

たとえばスポーツカー、たとえばゴルフクラブといった、性能が人気を左右する工業製品の世界では、時として「プロトタイプ」と呼ばれる先行モデルが市場に投入されることがある。機能や性能のコンセプトが間違っていないかを確かめ、バグの類いを丹念に潰してから、本格的にカットオーバーする手順だ。

和座氏の研修体験を聞きながら思ったのが、そのプロトタイプのイメージだ。まだ用語さえ固まっていない時代に、暗中模索を覚悟でプライマリケアを学ぼうと決心した勇気。教える側にも、その勇気に応えねばという超一級の緊張感がみなぎっている。黎明期ならではの混沌にのみ同居する特別な感慨といったところか。

できあがった作品は、混沌の中を自分の意志で、自分の判断で歩いたが故に鍛えられた足腰の強靱さがあればこそ、「プライマリケア=地域医療=へき地医療」というステレオタイプに陥ることもない。医師会の存在意義も、ニュートラルに評価できる。もはや「大量生産ではない」というスペックを超えて、一品ものの煌めきに近い。

たったひと言、心の底からのアドバイスは「ロールモデルを持つことが肝要」

傑作プロトタイプ本人に、プライマリケアの現在への感想を聞いてみると。
「初期臨床研修制度が整い、この分野に興味を持つ若手が着実に増え、とても喜ばしい流れを感じます。30年前に日野原先生がおっしゃっていたことが、実現しつつあるのですね」
屈託なく次世代の台頭を歓迎する姿は、揺るがぬ自信さえ感じさせる。事実、この魅力的なプライマリケア医のもとには多くの若手が教えを請いに足を運ぶ。そして、まったく衒いなく請う者に教えを授けている。大学から学生を、医療機関からは研修医、見学者を定期的に受け入れ続けているのだ。

「当院で学ぼうという方々には、常に同じひと言を送っています。それは、『現場に足を運べ』、そして『ロールモデルを探せ』です。私は、五十嵐先生というロールモデルに出会えた幸運があって、一人前になれた医師だと自認していますので、心の底からの最上のアドバイスはそれになります」
最後に、今後の夢、方針を聞いてみた。
「治療の成否ももちろん大事ですが、治療以外の部分でも地域のみなさんの幸福に関われるような存在になっていけたらと願っています。子育て支援に興味を持っているのも、自治体との間で医療政策について協議するのも、そんな考えがあってのことです。

そしてひとりでも多くの患者さんと、1年でも長いお付き合いを続け、この地域で一緒に年を取っていけたらいいなと思う今日この頃です」

わざクリニック 院長
松戸市医師会 代表理事会長

和座 一弘先生

1985年新潟大学医学部卒業
1987年自治医科大学地域医療学教室入局
1996年ケース・ウエスタン・リザーブ大学(米国)に留学
2000年ケース・ウエスタン・リザーブ大学家庭医療学臨床助教授
2001年4月 わざクリニック開院
2005年4月 東京医科歯科大学臨床教授
2014年5月 松戸市医師会長

(2017年01月取材)

「Doctor=医師」+「Story=物語」+「Victory=成功、喜び」から成る造語です。第一線で活躍される先生方のキャリアや生き方に関するお話をうかがい、
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